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『痴呆を生きるということ』『認知症とは何か』等の著書で有名な精神科医・小澤 勲 先生が選んだ“ぼけ”をテーマにした文学作品・詩歌・絵本を、毎月1冊ご紹介します。
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吉目木晴彦 著講談社 / 1998年
1993年の芥川賞を授与されたこの小説は、映画「ユキエ」(松井久子監督、1997年)の原作です。幸恵役の倍賞美津子がすばらしい演技でしたね。
幸恵は64歳で、国際結婚して、夫のリチャードとアメリカの南部の街に住んでいます。人種差別がいまだに色濃く残っていると言われる地域です。息子たちは独立して遠くに住んでおり、夫との二人暮らしです。この街に住んでもう38年になります。
幸恵の異変はまず感情障害として現れます。不意に神経がいらだち、自分の感情を抑えられなくなって、時には日本語で罵り、急に泣き出したりして、周囲を驚かせるようになったのです。夜更けにたき火をすることもありました。朝になって夫が注意すると、彼女は「あれは夕食の前よ。夢でも見たんじゃない?」と笑い出すのです。
また、失職中の夫が彼女をともなって、かつての戦友に就職を頼みに行った際、その戦友の妻が、体調が悪いと出てこなかったのに対して「私を避けたのよ。黄色い肌をした人間が嫌いなのよ」と執拗に言ったのです。このようなことが続き、知人や隣人に「ユキエはこの頃、うそをつくようになった」と言われるようになります。
そのようなとき、夫は彼らに激しく抗議するのですが、妻が「見知らぬ別人」になったようにも感じ、病院に連れて行き、アルツハイマー病と診断されます。その後、彼女の「ぼけ」は進行し、同じことを何度も訊ね、泥棒が入ってハサミを持っていったと言い出します。夫が見つけてやっても「あなたが置き場所を変えたんでしょう」と頑固に言い、夫はしていないことまで謝って、ことを収めねばならなくなります。
徘徊がはじまり、夫がようやく見つけると涙で汚れた顔で「私を置き去りにしてどこへ行ってたのよ」と絞り出すように言葉を投げつけるのです。映画では、行方不明になることを恐れた夫が外から鍵をかけて仕事に出ると、帰宅後、彼女は激しく「私を閉じこめた」となじるのです。でも、次の日、夫が出がけに迷っていると、彼女は窓越しに「鍵をかけて」と悲しい顔で言うのです。そうですね。彼らは何もかもわかっているのではないかと、感じることがありますね。
「幸恵は徐々に時を失いつつあった。記憶が分断され、時間は不連続な点となり、つながりを持たない、過去から現在へ、そして未来へと続く流れの中で、彼女は取り残され始めていた」のです。
それでも、息子から幸恵を専門の施設に入れることを勧められ、自分たちと住もうよと言われるのですが、「ユキエと離れて暮らすわけにはいかない」と夫は断るのです。このような話を聞いて息子の妻・由美子は言うのです。「お義母さんは、そんなに他人に依存しているんでしょうか。これはお義母さんの身の上に起こったことなんでしょ。でも、まるでそうではないみたい」。彼女は、幸恵抜きに話が進められたり、突っ返されたりしていることに違和感があったのでしょう。
幸恵は「彼はすごく心配して、いろいろしてくれるのよ。毎日、散歩に連れ出したり、薬の確認をしたり、私のすることに絶対、文句も言わなくなった。彼は私が治るって信じているのよ。でも、彼が私を元に戻すために傾けるほどの情熱を、私自身、持てなくなることがあるの。彼には申し訳ないのだけれど、なぜ、そんなに頑張らなくちゃいけないのか、と思うことがあるのよ。一生懸命にやってくれてることには感謝しているのだけれど、息苦しく感じることがあるの」
原作にはないのですが、映画では「今、私の身に何が起こっているかわからないけど、この病気はお前たちとのゆっくりしたさよならだと思っているの」という幸恵の台詞があります。脚本は老熟の新藤兼人です。
この本の帯には「アルツハイマー病が愛を砂漠に変えた」とありますが、私はそうは思いません。私なら「アルツハイマー病がもたらした砂漠に、愛はたくさんのオアシスをつくった」と書くでしょう。それは、リチャードが「ユキエとは、長い時間を分かち合ってきたんだ。自分の生きてきた年月がどんなものだったか、知っているのは、私とユキエだけなのだよ。だから、ユキエが記憶を失えばその分だけ、私が一人で、他の誰も知ることのない、あるカップルの物語を抱え込むことになる」と言うのを聞くだけで十分でしょう。
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はじめに
①明日の記憶◎荻原 浩 著
②われもこう◎瀬戸内寂聴 著
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2019年11月18日