認知症をもつ人とその家族の生活を支え
地域・社会をよりよくしていきたいと考えている
医療・看護・介護専門職のためのサイト
「虚と実のミラクル☆」番外編 ①

Report

「虚と実のミラクル☆」番外編 ①

 

公開サイト「教養と看護」で好評連載中の「虚と実のミラクル☆」は、高齢者や介護者とともにつくる演劇公演や、認知症ケアに演劇的手法を取り入れたワークショップで注目される俳優・介護士の菅原直樹さんが、ユニークなケアの実践現場を訪ね「演じること」と「介護すること」の関係を探る企画です。ここでは、本編で紹介しきれなかったインタビュー・エピソードをご紹介します。(本編はこちら

 

> 菅原直樹さんと「老いと演劇〜OiBokkeShi」についてはこちら


 

 

 

第一幕 宅老所「いしいさん家」の石井英寿さん(番外編)

 

(「いしいさん家〈ち〉」は2006年、石井英寿さんが妻とともに千葉市に開設した宅老所。ここでは時間割や決まりがなく、利用者は自宅で過ごすように思い思いのときを過ごします。利用者以外にも家族、病気や障害を抱えた人、子どもたちなどさまざまな地域の人たちが集まる場となっています)

 

「いしいさん家」のホームページはこちら

 

菅原:多くの人は自身や家族が認知症になったと聞くと、何か普通ではない異質な人になってしまうような恐怖や不安を持つと思います。でも、介護の仕事をしていると、もちろん最初は本当に困ったり大変だなと感じるけれど、寄り添っていくうちに信頼関係が築けることが実感できると感動しますよね。

 

石井:まさにそのとおり。施設で働いていると入浴・食事・排泄と忙しく走り回り、相手と「点」でしか関われず、どうしても仕事をこなす感じになりがちです。でも信頼関係を築くところまでできれば、この仕事の魅力に気づくことになる。

 

菅原:みんな同じ人間であって、それぞれに自分のストーリーがある。介護職も介護職のストーリーを生きていて、仕事が忙しく「今すぐお風呂に入れなきゃ!」って頭いっぱいになっているときに、利用者さんが「田植えに行きたい」とか「家に帰るとか」言うわけですよ。

 

石井:とんちんかんなことをね(笑)。

 

菅原:しょっちゅうお互いのストーリーがずれるんですね。そうなった時にいったん自分のストーリーの支配から抜け出せるかどうか。時間に追われていたら抜け出せないですよね。それで「家に帰れないからご飯いきましょ!」となると、お互い意固地になってしまうわけです。自分は相手のストーリーのわき役になるぐらいの気持ちになる必要があるんじゃないかと、僕は思うんです。

 

石井:あ~なるほど。家でも外でも、高齢者が何かと排除されがちな今のような世の中は、みんな居場所がないんだよなあ。それで自分の中で探すことになるんですよ。「自身がいちばん輝いていたのはいつだったろうか?」って。たとえば子育てをしていた頃とか、お弁当をつくってた昔の頃を思い出す。その時その人は心がタイムスリップしてるんだから、僕らはそのストーリーに寄り添わないとね。

 

菅原:つまり、その人は自分がもう一度やりたい「役」を演じているわけですよね。そして我々がそれに乗っかって楽しめることさえできれば、相手はとてもいい表情してくれるんです。つまり認知症の人が主人公で、介護する人はわき役を演じるんです。

 

石井:わかるわかる。

 

菅原:介護の仕事って、認知症の人が見ている世界、つまり本人にしか見えていない世界に寄り添い「わき役を演じる」ことによって、その世界を他の人にも見える形にすることができる。たとえば一人で歩き回っている人に寄り添えば、その人の世界観を共有する人になる。そのことが本人に大きな安心感を与えるんじゃないでしょうか。

 

これは「宅老所よりあい」(福岡市)の村瀬孝生さんに聞いた話ですが、テーブルの上に座っちゃう認知症のお年寄りがいて、軽度の認知症をもつ他の利用者さんがそれを見て「またテーブルに座ってる!」って強く言うわけです。そこへ介護職員が来て、どうするかというと一緒にテーブルに乗る(笑)。すると周りの人たちは「あれ…? スタッフもテーブルに乗っている…。こういうもんだったっけ??」みたいな感じで、自分の常識を疑い始めるわけです。それってすごくおもしろいと思うんです。そして何人もテーブルに座れば「まあ、そういうもんなのかな」って雰囲気になる。

 

石井:常識はどっちなんだ?って(笑)

 

菅原:おもしろいのは、よく介護の現場でうまくいっていない時って、ある出来事を問題視することで知らず知らずのうちに状況を悪化させている場合がありますよね。こっちが変われば相手も変わるのに、相手を変えようとしてますます「問題」が大きくなっていく。

 

石井:「専門バカ」がよくないことってありますね。たとえば片側に麻痺があったら、記録に「片側に問題あり」と書くけど「反対側は動くじゃん」と思えるかどうかが結構大事ですよね。あるいは動き回っていたら「問題行動あり」としちゃうけど、「見方を変えればただ元気なおじいちゃんだよな」という受け取り方もできる。専門的な見方をしないことで、問題のほうではなく良いところを見てあげられるケースも多いんです。

 

菅原:勘違いしやすいのは「何々をしてあげることで相手に喜んでほしい」という発想は、ある意味こちらのストーリーを押し付けているわけですよね。それで相手が不機嫌だったり、逆に怒らせて殴られたりするとものすごく頭にきてしまう。天使だったのが、一瞬にして悪魔になるわけですね(笑)。「せっかくしてあげたのに、何だよあんた!」となる。それは、もしかしてケアじゃないのかもしれないですよね。

 

石井:ぼくがまだ施設で働いていた頃、入れ歯を外せないおじいちゃんがいてね。彼に「取って! 取って!」といつもガーガー言うスタッフがいたんです。時間に追われているからしょうがないんだけど、そんなに怒らなくていいのに…と。で、そのおじいちゃんの過去をひも解いてみると、ずーっとおうちではお風呂場で入れ歯を洗っていたんだって。じゃあここでもそうすればいいじゃん。こっちが向こうの世界に入ればいいんだよね。でもそれをこんなふうに言葉にできるようになったのは、独立していろいろ考えるようになってからですね。施設ではそんなこと考えてる暇はないの。

 

菅原:そうですね、時間に追われちゃいますからね。

 

石井:相手と点でなく面で関われるようになって、「ここ、つながってきたな」とか「ここにこの言葉がはまるんだな」と考える余裕を持てるようになりました。おもしろいよね。

 

菅原:そうですね。

 

石井:あとね、時間の感覚とかにも気づかされたんだよね。実は、僕らは未来を考えているときや過去を考えているときにいろんなストレスがたまるのかなって思ったりするんですよ。

 

菅原:先がわからない不安や、「あの時とてもつらかった」とか…?

 

石井:そう。「将来年金がどうなるのか」とか、近い未来で言えば「仕事をミスしたから、明日会社に行くと上司に怒られる」とか「ママ友にうるさいが人いるな〜」とか。それって全部「今ここ」っていう時間じゃないんですよね。

 

菅原:心がどこかへ行っちゃって、そのとき過去や未来にいるわけですよね。

 

石井:そうなの。それで、僕らは鬱憤を発散したくなったら、温泉や旅行に行ったりするじゃないですか、山登したり、カラオケしたり、何か食べたり…。それは全部「今」なんだよね。ストレスを解き放てるのは「今」なんですよ。そんなふうに考えると、お年寄りの人たちが彼らなりにどんな時間を生きているのかが、新鮮な目で見えてくるんじゃないでしょうか。

 

(おわり)

 

 

編集協力:石川奈々子

 

>「虚と実のミラクル☆」本編はこちら

2019年12月24日