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[認知症とメディア] 第2回社内鑑賞会 ◇ アニメ映画「しわ」

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[認知症とメディア] 第2回社内鑑賞会 ◇ アニメ映画「しわ」

「認知症とメディア」第2回社内鑑賞会では、スペインのアニメーション映画「しわ」を観ました。

 

▶ 第1回 社内鑑賞会レポート ◇ ドラマ「大恋愛」

[作品概要]

©2011 Perro Verde Films – Cromosoma, S.A.

 

タイトル:「しわ」(2011、スペイン)

監督・脚本 イグナシオ・フェラーレス

原作・脚本 パコ・ロカ「ARRUGAS」

配給 三鷹の森ジブリ美術館

主な受賞歴

・スペインのアカデミー賞と呼ばれる第26回ゴヤ賞で「最優秀アニメーション賞」「最優秀脚本賞」受賞

・教育番組の世界的なコンクール「日本賞」で2012年度グランプリ受賞

 

[あらすじ]

主人公のエミリオは元銀行の支店長。今は引退し、息子夫婦家族と暮らしていたが、認知症の症状が進み、養護老人施設に入ることになった。

この施設には様々な境遇・状態の高齢者が暮らしていた。同室のミゲルはアルゼンチン育ちの陽気な男で、身寄りがないためここに入所している。お金にうるさく、抜け目がない。

ここの入居者の多くは、少々認知機能に問題を抱えているようだ。例えば、他人の言葉をひたすらおうむ返しにする男性。高度の認知症で自分では何もできない夫と、その夫の面倒をみるために一緒に入所している妻。いつも電話を探して施設内を歩き回っている女性。オリエント急行で旅をしている妄想の世界に生きている車椅子の女性、たまに面会にくる孫へプレゼントするために、食事についてくる小分けのバターやジャム、ティーバッグを大事に集めている女性、などなど。

 

エミリオは、自分はそんな周囲のおかしな人たちとは違うんだ、と思い込もうとしていた。しかしある日、自分の薬が重度の認知症の入所者と同じであることに気づき、ショックを受ける。それを契機に、エミリオの症状は一気に悪化していく。それを見たミゲルがとった行動とは…。

 

→ オフィシャルサイト

→ 予告編

 

この施設にはジムやプールがありますが、これは施設が入居者家族にここが素晴らしい施設であることをアピールするためのもので、入居者が使うことはほぼありません。ここに入ったら、毎日、食べて、テレビを観て(しかもチャンネル選択権はない)、そして寝るだけ。死ぬまでその繰り返しです。

 

このような状況に自分が置かれたら、何に生き甲斐を見出し、どう人生を終えればいいのでしょうか。老いは誰もが避けられず、自分が認知症にならないという保証はありません。ミゲルは言います、「ここで生きていくためには、自分を騙し続けるか、現実と向き合うかしかない」と。エンドロールの「今日の老人、明日の老人、全ての人に捧げる」という言葉通り、この映画を観た老若男女すべての人は「老いと死」の問題を静かに突きつけられます。

 

この映画は、観る人の年齢や現在の状況(身近に認知症の人がいるか、施設に入った肉親はいるか等)など個人的な背景によって、作品の捉え方や感想はかなり異なると思います。

 

第2回鑑賞会は、編集部だけでなく、営業部・総務部社員も参加しました(総勢15名)。前回と同様、視聴後にアンケートを行いました。以下ではアンケート結果を紹介します。

 

★注意★

ここより先はネタバレを含みます。未視聴の方はお気をつけください。

 

[感想]

 

認知症は世界共通の社会問題

 

自身の老後については考えたくない、目をそらせていたいテーマであり、確実に身に起こるテーマ。親、自身に置き換えて見入ってしまった。

 

30歳代以降の人にぜひ見てもらいたい内容。日本が抱える社会的な問題と当事者の思いがほぼ同じ。

 

スペインの映画ということだが、そんなに文化の違い※を感じることはなかった。この映画を観たほとんどの人は「他人事ではない」と感じたのではないだろうか。
(※個人主義的な考えが優先される欧米では老後に施設に入ることは珍しくない。しかし南ヨーロッパのスペインでは大家族主義的な考え方が残っていて、介護を巡る状況はアジアに近いかもしれない、という説もある。)

 

知識として知っていたことも、立場を変えると考えさせられることが多々あった。医療制度や文化が異なっても、認知症の人をとりまく本質的なことは世界共通の問題なのだなと、改めて思った。

 

認知症になったとしても幸せに生きていけるという期待を持たせることは難しいと思った。

 

観たあとは、認知症は治らなくて進行していくということ、老いて社会から必要とされなくなってからの人生について思いを巡らし、切ないというか、なんとも言えない気持ちになった。

 

 

老いについて

 

自動車で夜中に抜け出して自由を楽しもうとするシーンがあったが、体は老いても気持ちはまだ若いつもりだったりして、そのアンバランスさが、誰しも年老いた時に葛藤するところなのかもしれない。祖母が生前「街を歩いていても気分は女学生の頃と同じなのよ」と言っていたことを思い出した。

 

認知症に自分や親がなった時のことを想像し、また亡くなった祖母のことを思い出し、「老い」について考えさせられる映画だった。施設に入っても仲間同士で助け合いや友情があるのだと少し救われた気持ちになったが、仲間がひとりずついなくなっていくのは(同じ施設内の別の階だとしても)悲しい。

 

老いは切なくも愛おしい。

 

 

重苦しいテーマの中での救い

 

認知症の世界や施設での暮らしをリアルに描いている中で、入居者仲間の夫婦のエピソードや、主人公の友人ミゲルが生き方を変えていくところに救いを感じた。

 

主人公のエミリオの感情を通して、本で読んだ認知症の人の感覚をすこし体験できたような気がした。自分の体験していることをわかってもらえずいらだつエミリオに同調して、自分もイラっとしてしまう場面もあった。同室のミゲルは、まさにケアラーだと思う。施設の職員は無難にやり過ごすところを、キチンと認知症の人の体験世界につきあっている。しかも、認知症の人から巻き上げたと思っていたお金を彼らの希望を叶えるために使ったりしていて、ミゲルの行いはこの映画のなかの救いだった。

 

シニカルに振る舞っていたミゲルが、エミリオが貴重品を隠していた=自分が信用できない人間だと思われていたことにショックを受け、それまでの生き方を反省して愛を実践するようになる、というストーリーにカトリック文化らしさを感じた。

ミゲルはあの年代のスペイン人なので恐らくカトリックの洗礼は受けているけれど、教会には通ってはいない人と推測されるが、エミリオとの出会いから行動や考えが変容した、という「放蕩息子の帰還」の話でもあるし、エミリオは認知症でできることが少なくなってもミゲルの回心を引き起こした。一見何もできないような人であっても、その存在が無意味ということではない、というメッセージも含んでいるのかな、と思った。

 

 

その他

 

この映画の内容を、役者が感情たっぷりに演じる実写版で観たとしたら、つらすぎると思う。普段はあまりアニメは見ないが、この映画の場合は、やわらかい印象の手描き風の絵とユーモアを交えながら淡々と進むストーリーが、あまりにも厳しい現実への直視をかなり緩和させてくれたのではないか。

 

施設について、冷たく非人間的な雰囲気が強調されているのは、恐らく実態通りではなく、入所者の主観だと思う。客観的には問題がないように見える場所や対応でも、本人にとってどうかへの配慮の重要性を再認識した。

 

高齢者を施設に入れる下の世代が一方的にひどい訳ではないことを示すシーンもあり、一方的な断罪ではなく、目配りの利いた作品だと思った。

 

 

[一番印象に残ったエピソード]

 

回答はかなりバラバラでしたが、「冒頭のシーン」と「エンドロールの後」をあげた人が多かったです。

 

最初と最後なので、つい気が緩み、油断しがちですが、これから見る方はお見逃しなく!

 

 

[普段アニメーション映画を観ますか

 

  よく観る 33.3%

  たまに観る程度 25%

  ほとんど観ない 41.7%

 

ほとんど観ないという人が40%強でしたが、「観てよかった」という感想が多かったです。

「アニメだから」という理由で敬遠してしまうのは、もったいないなと思いました(自戒を込めて)。

 

 

[この映画の弊社社員のおすすめ度]

 

すすめたい 66.7%

なんともいえない 33.3%

おすすめしない 0%

 

~ ・ ~ ・ ~

 

「しわ」はコミック版(「」)も出版されています。漫画ならではの表現がうまく生かされていて、映画とはまた違った独特の空気を感じられます。

こちらもお勧めです。

2020年01月28日