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マレーシアの認知症ケア事情
レポート ● 石川奈々子(編集者・ライター)
海外の認知症事情はどのようになっているのでしょうか。同じアジアの中でも、人口や年齢構成、宗教などにより、各国でかなり違いがあるようです。
ここではマレーシアの医療・介護の状況、特に認知症へのケアについて概観します。
マレーシアの医療・介護
1)人口増加と進む高齢化
マレーシアは総人口約3266万人(マレーシア統計局、2020年7月15日)、マレー系、中華系、インド系などがともに住む多民族国家です。平均年齢は29.2歳と、日本の48.9歳に比べ若年層の厚い国ですが、今年、65歳以上の人口割合が約7%(230万人)に達し、高齢化社会に突入しました1)。
今後、2040年までに総人口は4150万人、65歳以上の人口割合は14.5%に増加、平均年齢は38.3歳と、次第に高齢化が進むと予測されています(図1)2)。
2)医療・介護と制度
マレーシアの医療施設(病院・クリニック)は、国が運営する公的施設と民間施設に分けられます3)。マレーシアは、かつてイギリスの統治下にあったため、イギリスの影響を強く受けたNHS型の医療制度で、国民皆保険制度や介護保険制度はありません。その代わり、国民は公的病院で無料または安価に受診できる仕組みになっています。
一方、自由診療は全額負担となりますが、医療サービス水準の格差により民間病院を受診する人も少なくありません。
介護施設も公的施設と民間施設に分けられます。女性・家族・社会開発省管轄の「ケアセンター」は、ケアセンター法および老人ホーム管轄規則に則り、高齢者ケア、障害者や小児へのケアを含み、居住型とデイケアに分けられます。
保健省管轄の「ナーシングホーム」は、民間医療施設とサービス法および民間医療とサービス規則に則り、施設内での医療行為を伴うケアが提供されています。
また、公・民ともに訪問看護、訪問介護、ホームヘルプサービスも行われています。
ニーズの多様化に伴い、近年、特に政府系では在宅医療サービスに、民間系では都市部を中心に長期介護を必要とする低中所得世帯のための多様なサービスに注力しています。
ちなみに、看護師数は10万6,373人、訪問看護師数は2万3,490人3)となっており、そのうち約3分の2が公的施設に勤務しています。医師、理学療法士、看護師はそれぞれ大学医学部、看護学校等を卒業することで資格を得られますが、設立ラッシュにより医師、看護師数が急速に増え、特に看護師は人材の過剰供給状態にあり、新卒の看護師の就職難が社会的に問題になっています。
3)高齢者介護に対する国民意識
マレーシアでは家族を重んじる文化により、老後の介護は子どもや孫がするものという認識があります4)。
イスラム教徒は宗教的に介護を義務として考えていることや、親を施設に入れることは尊敬の念がない行為ともとられ、家族あるいは、家族での介護が難しい場合は専任メイドや個人契約の看護師を雇い、自宅で介護する家族介護が特徴的です。しかし、近年、都市化と核家族化か進み、高齢者の介護に対する意識の変化が起きているようです。
認知症
1)マレーシアの認知症患者数
認知症患者はアジア太平洋地域で2300万人以上、そのうちマレーシアの認知症患者は12万3,000人と推定され、その約8割がアルツハイマー型認知症とされています5)。
2017年には認知症はマレーシアにおける死因の第5位6)となっており、患者は今後2030年には261万人、2050年には590万人になると想定されています(図2)5)。
2)認知症の治療
マレーシアにおける認知症の治療は、「Management of dementia」(マレーシア保健省ほか、2012年)7)などを基に行われています。
認知症患者の中心的な治療は、家族・介護者との緊密な連携に基づいた精神医療とされており、すべての患者に精神医学的、神経学的および一般的な医学的評価が必要で、通常、3〜6か月ごとの定期的なフォローアップを行い、個人ごとにケアプランを作成するとされています。
治療には薬物療法、非薬物療法がともに取り入れられています。非薬物療法では、心理療法/心理・社会的治療として、行動へのアプローチ(問題行動の具体的な前例と結果を評価し、行動を引き起こす活動を変更・削減)、感情へのアプローチ(支援的心理療法、回想療法、バリデーション療法、感覚統合療法など)、認知へのアプローチ(リアリティオリエンテーションとスキルトレーニング)、刺激指向アプローチ(アクティビティ、レクリエーション療法や芸術療法)などがあります。認知症の診断後、まずはこれらを試み、効果が思うように得られなかった場合に薬物療法を検討するという点が重視されています。
薬物療法には、アセチルコリンエステラーゼ阻害剤(ドネペジル、ガランタミン、リバスチグミン)などが使用されています。
薬物使用の際は、リスクと利点についての議論と慎重な評価、定期的な見直しによる短期間の使用が推奨されています。
また、マレーシア精神保健法(2001年)の下、医療者は国および州の法律に精通している必要があり、患者の権利を守る役割を担うとされています。認知症治療でも、可能な限り患者を意思決定に関与させます。
3)認知症ケアの場——さまざまな介護サービス
マレーシアでは、認知症専門施設は多くありませんが、自宅での介護のほか、近年、都市部を中心に基本的なケアと機能の維持を目的とした、認知症者と家族のための介護サービスが進出しています。
2015年のデータですが、調査対象である認知症者の半数は外部サービスの利用がなく、残り半数の利用サービスは住込メイドとその他居住系サービスに分かれる、という結果が出ています8)。
費用は、平均で住込メイド RM 960/月(約3.1万円)、居住系サービス RM1,917/月(約6.2万円)、デイケア RM 52.5/日(約0.17万円)となっています注1)。
注1:RM(マレーシア リンギット)=32.26円(2015年2月)
■マレーシア アルツハイマー病財団
1997年にNPO 法人として設立された認知症患者と家族の支援団体である「マレーシア アルツハイマー病財団」9)(図3)は、Rumah Alzheimer’s Day Care Centre(PJACC)(デイケアセンター)を運営しています。認知症以外の患者は受け入れておらず、専門の訓練を受けた看護師の下、看護師1:患者4の割合で、非薬物療法を中心に健康維持をはかっています。
また、医療介護従事者やボランティアのトレーニングを行うResourse Training Centerでは、Person-Centered Careアプローチを使用した対話型トレーニングなどが行われています。
2017年には、Atria ADFM Community Corner(AACC)がオープンし、認知症患者と家族を対象とした講演やセッション、アクティビティなどによる情報提供や相談の場となっています。
■ Caring With You Dementia Enrichment Center
クアラルンプールにある「Caring With You Dementia Enrichment Center」は、介護者サポート含むアートセラピーやアクティビティをとおした「個人を中心としたエンリッチメントプログラム(Person-centered enrichment program)」を採用しています。
医療者は、オーストラリアとイギリスの認定認知症ケアの資格(certified dementia care professionals with qualifications from care organizations in Australia and the UK)を持ち、オーストラリアとイギリスの認知症ケア協会から専門医療認定を受けています。
設立者のDeidre Lowは、認知症の母親の介護のために仕事を辞め、シンガポールから帰国しました。当初働きながら、専任メイドと看護師を雇って自宅で介護していましたが、精神的な支援が行き届かず電話で呼び出されていた、と振り返っています。
その後、施設を見学するものの、ただ見守っているだけの環境に失望。そこから一念発起し、仲間とともに海外の認知症者のための施設を視察、2017年に自らこの施設をオープンしたといいます。
自身の経験から、センターでは介護に悩む家族介護者の休息、サポートにも力を入れています10、11)。
■ Homage
2016年にシンガポールで設立され、2019年からマレーシアで訪問介護・看護サービスの提供を始めた「Homage」は、脳血管疾患、パーキンソン病、がんなど個別の疾患に対応した訪問を行っており、各段階を考慮した認知症患者への訪問看護にも24時間対応しています12)。
■ Care concierge
従来の外国人の家事労働者が主である専任メイドでは解決できなかった専門的なケアを行うことを謳い、看護師、セラピスト,介護者を自宅へ派遣し、入院後や高齢者のケアを行う事業を行っています13)。
認知症など特別なケアを必要とする場合で、住み込み/デイケア RM270/日(約0.68万円)、RM5,200/月(約13.2万円)(週6日)となっています。注2)
注2:RM=25.42円(2020年8月)
4)医療者の教育
認知症患者は増加傾向にありますが、訓練を受けた認知症の専門家は不足しています。認知症専門医の数も次第に増えてきてはいるものの多くはなく、一般病院でも「認知症アセスメント」は受けることができますが、診断に専門家がかかわらないことによる誤診につながる可能性も懸念されています14)。
マレーシア アルツハイマー病財団は認知症専門医のリストを公開しており、専門医を紹介しています。介護士資格制度も未だ十分に整っているとはいえません。
5)課題
認知症ケアの課題として、認知症に対する国民の意識改革と情報の提供があげられます。
マレーシアを含むアジア諸国では、「高齢になると認知症になるのは当たり前のこと」という認識があり、症状があっても診断・治療を受けていない人も少なくありません。それによって、認知症の早期発見にいたらず、患者のQOLの低下や家族の介護疲れなどにつながっているのではないかと予測されます。
また、糖尿病はマレーシアの国民病といわれていますが、糖尿病は認知症の危険因子であることからも、啓蒙の必要性があります。
あわせて専門家の教育・育成も急がれます。認知症がどのような疾患であるのかを理解し、患者・家族の権利の尊重が可能であること、治療や介護への道筋の提示、早期に治療や介護に結びつけるメリットなどの情報を提供していくことも医療者の役割と考えられます。
● 引用文献
1)DEPARTMENT OF STATISTICS MALAYSIA : Current Population Estimates, Malaysia, 2020.
2)DEPARTMENT OF STATISTICS MALAYSIA : Population Projection (revised), Malaysia, 2010-2040, 2016.
3)MINISTRY OF HEALTH MALAYSIA:Health Facts 2019—Reference date for 2018 , 2019.
4)JETRO:ヘルスケア・ビジネスのASEAN展開,p.67,2018.
6)Institute for Health Metrics and Evaluation : What causes the most deaths?
7)Ministry of Health Malaysia : Management of dementia (2nd edition), 2012.
8)経済産業省:認知症介護サービス(グループホーム,小規模多機能型施設,訪問介護)等の海外展開に関する実証調査事業報告書,2015.
9)Alzhheimer’s Disease Foundation MALAYSIA : Treatments for dementia.
11)Suzanna Pillay:Dementia ‘It is not a normal part of ageing’, New Straits Times, 30/07/2017.
12)Homage : Caring for loved ones with dementia, 2020.
13)Care concierge: Caregivers, Private Nurse Services & Eldercare Nursing Home in Malaysia, 2020.
14)Ainaa Aiman : Malaysia needs more specialists in dementia, says expert, FMT, 03/10/2019.
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2020年09月30日