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若年性認知症の本人と家族へのインタビュー

Column

若年性認知症の本人と家族へのインタビュー

認知症plus若年性認知症多職種協働で取り組む生活支援
遅れる診断、周囲の無理 、失職、介護者が背負う多大な負担……。本人と家族の困難に、それぞれの専門職が連携して立ち向かう。

 

山川みやえ・繁信和恵・長瀬亜岐・竹屋泰 編/B5/176ページ/定価2,860円(本体2,600円+税10%)/2022年03月発行/ISBN 978-4-8180-2398-7

本書では、本人と家族を生活者の視点から支える看護職の役割や多職種協働の実際を、9つの事例検証を通して解説しています。そのなかの一つ、「case07:診断時からケアチームの支援が得られず、Nさんが仕事をしながら介護を担ってきた。」(p.74)の当事者であるGさんとその娘で介護者のNさんへのインタビューをご紹介します。

 

取材を受けてくださった理由は、Gさん・Nさん親子がともに看護師であること、高齢認知症者に比べ数の少ない若年性認知症の当事者には体験者自身の語る情報がとても貴重であること、そして医療・介護の専門職が疾患や症状について十分な知識をもっていない現実を、日々痛感してこられたことも大きかったからです。

 

ここで語られた多くの問題については、本書に掲載している多職種ディスカッションで詳しい検証を行っています。以下のインタビューと合わせて読み進めることで、当事者にとっては自身が受けるべき適切な支援のあり方を知ることができ、あらゆる専門職の方にはより現実に即した正しい当事者理解が促されるはずです。

 

なお、つらい質問もあることを承知のうえでインタビューを引き受けていただき、真摯にお答えくださったGさん・Nさん親子に深く感謝申し上げます。

 

<インタビューに応じてくださった本人とご家族について>

 

若年性認知症の本人であるGさんは、現在58歳の女性です。54歳のとき若年性アルツハイマー型認知症を発症されました。主介護者はNさんの娘で、二人とも看護師として働いておられます(Gさんは復職ののち退職)。もう一人のご家族であるGさんの夫は、発病以前から専業主夫として家庭を支えてこられていました。

 

インタビューはGさん・Nさんに対し本書の編者の一人・山川みやえさん(看護師・大阪大学大学院准教授)がオンラインにて実施しました。Gさんは発語が徐々に難しくなっており、NさんがGさんの意向をその都度確認しながら多くの質問に答えてくださいました。

 

なお、発言中にあった具体的な団体名や自治体名は伏せています。それぞれの担当者が行った対応はあくまでGさん・Nさんというケースに関するものであり、必ずしも一般化できるものではありません。

若年性認知症と告知を受ける:「疲れているだけじゃないか、と認めたくなかった」
 
質問者(看護師):ではまず、お母さま(Gさん)が病気とわかった頃の経緯を教えてください。
 
Nさん:3年前ですね。お母さん、何歳の頃か覚えてる?
 
Gさん:54歳。
 
Nさん:なので、今年58歳です。
 
質問者:その時はまだ病院で働いておられたんですよね。
 
Nさん:はい、働いていました。
 
質問者:おかしいなと思ったのはどういう時でしたか。
 
Nさん:お母さん、自分で気づいたきっかけとかあった?
 
Gさん:……。
 
Nさん:2018年1月頃に「頭が痛い」と言って早退してきたことがあって、職場のほうでも頭痛が激しく血圧も高めだと心配して1週間程度休ませてくれたんです。長く勤めていて初めての早退でした。その後復帰しましたが、2月になり母が「悪いんだけど、職場の上司と話し合いをしてほしい」と言うので「何を話し合うの?」と聞いたんですが、要領がつかめずさっぱり意味がわからなかったんです。そうしたら職場から電話がかかってきて、「様子がちょっと気になる」と言われたんですね。
 
質問者:なるほど。
 
Nさん:母の上司と主任さん、師長さん、病院の顧問の方と私で四者面談のような感じで話を聞くことになりました。そこで病棟での「気になった行動」がいろいろと記された書類を渡されたんですね。たとえばインスリンを打ったかどうかを忘れたり、清潔ケアなどの順序が急にわからなくなったりとか、そこにつらつらと書かれていたんです。「これは、ちょっとすぐに病院に行かないといけないな」と思ったので、「とにかく受診させます」と伝えました。
 
質問者:診断はどうでしたか?
 
Nさん:神経内科で問診と検査を受け、VSRAD(認知症検査)もして、3月に若年性のアルツハイマー型認知症と診断されました。
 
質問者:思い出すのもつらいことかもしれませんが、診断を受けたときにお母さまはどう思われたのか、もし覚えておられたら教えていただけますか?
 
Nさん:覚えてる?
 
Gさん:……。
 
Nさん:あまり覚えてないそうです。
 
質問者:Nさんはその際、どうお感じになりましたか?
 
Nさん:2月の受診に付き添ったときには、受け答えの様子から「やはりもしかすると認知症かもしれないな」と気づいてしまった自分と、「でも、疲れているだけじゃないか?」と思いたい自分がいて、何とも言えない気持ちになりましたね。それでも現実をどうにか受け止めようとして、すごく平静を装っていました。「とにかく私がしっかりしなければいけない」と。病院から家に帰って、お母さんすごく泣いていたもんね。家族みんなで泣いて……。
 
 
今後の相談をする:「誰に頼ればいいのかわからなかった」
 
質問者:診察時に、ドクターから今後のことについて何か聞かされましたか?
 
Nさん:「治療法がないので、生活習慣やリズムをしっかり整えたり、ウォーキングしたりするしかない」と。薬は一応処方するが若いため効くかどうかはわからない。飲むだけ飲んでみましょう、という感じでした。支援制度などの話は全くなかったけど、自分が働く病院だから、すぐに医療福祉相談室にいるMSWさんのところに行ったんです。すると「診断されたばかりだから、まずはゆっくりされたらどうですか」みたいなことを言われて、何も制度などについて教えてくれませんでした。なんだかお茶を濁されたような感じで言われたから「あれ?」と、そのときは思いました。
 
質問者:そうだったんですね。
 
Nさん:ダブルパンチを食らった感じでしたね。診断のショックに加えて、「聞いてもわからないのか……」と思い、よけいに自分でなんとかしなければと思いました。
 
質問者:その時点で、認知症の人への支援についての知識はどれくらいありましたか?
 
Nさん:あまりよくわかっていなかったから、MSWさんに聞けば何かしら情報をくれるだろうと思ったんです。
 
質問者:2018年といえば、もうかなり認知症の支援についての情報提供はしっかり行われていてもおかしくない時代に入っていると思うのですが……。
 
Nさん:とにかく自分たちでなんとかするしかなかったんです。母は毎日「ごめんね」って言っていました。お父さんも私が家に帰るたびに泣いていて、「死なないといけない」とか「死ぬしかしない」なんて話ばかりでした。
 
質問者:そうだったんですか……。
 
Nさん:ローン返済もあったので。今後いろいろなことをどうしたらいいか全然わからなかったんです。あの時は。
 
質問者:その頃はお仕事をまだ辞めていなかったのですか?
 
Nさん:職場との話し合いの際に診断書を見せると、病院の顧問の方が「状態が落ち着くまで一旦病休扱いにしましょう」と言ってくれたんです。症状が落ち着いたらまた復帰するかどうか一緒に考えましましょうと。母は仕事を続けたいと言っていたので。
 
質問者:その頃はどんな症状が現れていましたか?
 
Nさん:忘れている自覚が母にはないんです。ただ、無意識にか話の辻褄を合わせるのがすごくうまくなっていたため全然気づけなかったんです。
 
質問者:家の中ではお母さんが認知症であることが全然わからなかった、ということですね。
 
Nさん:わからなかったです。本当に。
 
質問者:お母さんは家事も普通にされていたんですか?
 
Nさん:お父さんが元々専業主夫だから母がご飯をつくるのは稀だったため、すぐにはわからなかったのです。
 
質問者:なるほど。お母さんが一家の大黒柱だったんですね。
 
Nさん:そうです。
 
質問者:きょうだいはおられず、子どもはNさんがお一人?
 
Nさん:はい。
 
職場と話し合いをする:「仕事を辞めたくない。少しでも長く続けたい」
 
質問者:その後、職場に復帰されましたが、そうするためにどのようなところに相談されましたか?
 
Nさん:6カ月の病休の間、地元のさまざまな当事者の会に連絡を取っていろいろな相談をしました。でもほとんどが高齢者ばかりなんですね。市のサポートセンターにも問い合わせましたが「うーん、復職はちょっと」と、はなから否定的な態度でした。そのほかにも、ある若年性認知症のサポートをしている会で「職場復帰はできますかね……」と話をすると、母の手首の脈をとって「もしかしたら認知症じゃないかもしれない」などと謎の診断をされたりして……。おかしな世界に入ってしまうところでした。
 
質問者:ああ……教祖様的な人がいるところですね。
 
Nさん:もう私は一体誰に相談したらいいんだろうって思いました。
 
質問者:専門ののサポートセンターですら、親身になって現実のお母さまの生活をちゃんと考えてしてくれる人があまりいなかったのですね。
 
Nさん:誰も教えてくれなかったから、自分たちで支援制度を全部調べました。
 
質問者:Nさんは制度や資源のことを本当によくご存じですよね。
 
Nさん:大変でした。
 
質問者:ご自身でケアマネジャーのようになって。
 
Nさん:8月くらいに症状が落ち着いてきたので、もう1回職場との話し合いをしました。ご自身の母親も認知症だった病院の顧問(医師)の方が、職場復帰を後押ししてくれました。いわば鶴の一声で決まった感じです。
 
質問者:お母さま、「また職場に行って仕事ができるよ」と言われたときは嬉しかったですか?
 
Gさん:(うなずく)
 
Nさん:嬉しかったよね、帰りの電車で泣いていたもんね。(顧問の方ことを)「そんな人がいるんだな」って言ってたよね。
 
質問者:すごく理解のある方だったと思いますが、やはりお母さまがそれまで職員として病院に貢献されてきたことが大きかったんじゃないでしょうか。
 
Nさん:それは言われました。40何年間も同じ法人でずっと働いてきてくれたと。
 
質問者:40何年間ですか! 珍しいですよね、看護師は結婚などを機に職場を変えることが少なくありませんから。ただ、復帰後はナースとしてではなく介護助手という形でお勤めされたのですね。お母さまはそれでも嬉しかったですか?
 
Gさん:うん。
 
Nさん:嬉しかったよね。
 
質問者:復帰するにあたり不安や難しかったことはありましたか?
 
Gさん:大変なことはたくさんあると思いましたけど、お仕事がしたかった。
 
質問者:お母さんにとって仕事って、どのようなものでした?
 
Gさん:看護師だったので、いろいろと患者さんと話をしたりとか、そういうのがたくさんあったので……。
 
質問者:患者さんとお話をすることで、お母さま自身が元気をもらったりすることもあったのでしょうか?
 
Gさん:ありましたね。
 
質問者:Nさんにとって、そういうお母さまはいいナースの先輩でもあったと拝察します。同じ職業に就かれたのはその影響が大きかったのですか?
 
Nさん:子どもの頃は夜勤で全然家に帰って来ず寂しい思いをしていました。友だちの家庭では夜にお母親が家にいるのが普通だったから「看護師って一体なんなんだろう」と思っていました。だから私がこの職業を選んだのは単に手に職をつけようと思ったからなんです。実際に始めてみて本当に大変な仕事だなと心底思いました。
 
質問者:お母さまのことを見直すような気持ちに?
 
Nさん:すごく見直しました。よくやっているなと思いました。診断されるまで夜勤をずっとやっていたもんね。1カ月に7・8回くらいかな。
 
質問者:夜勤専従みたいな感じですね。
 
Nさん:疲れ方も半端じゃなかったから、そのせいで忘れっぽくなったのかなと最初は思ってしまったんですよね、私も。
 
働くことを継続する:「通勤を支援する手段がどこにもない」
 
質問者:復帰後の職場でのサポートはどのようなものでしたか?
 
Nさん:主治医に復帰の報告をすると指示書のようなものを書いてくれました。患者さんの元に行くときには必ずもう一人誰かがつくようにと。また母がどのようなことで困っていてどんなサポートを必要としているかも。
 
質問者:よかったですね。そして職場のほうもその指示書どおりにしてくれましたか?
 
Nさん:はい。最初はすごくうまくいっていたよね、お母さん。
 
Gさん:うん。
 
質問者:何年間くらいうまくいっていたのですか?
 
Nさん:1年ほどは一人で職場への行き帰りができていました。周囲のみんなも助けてくれて。でも2019年になると徐々に電車通勤が難しくなってきました。
 
質問者:お母さまが「ちょっと難しいな」と自覚されたのですか?
 
Nさん:自分からそうは言いません。通勤途中に電話をかけてきて「頭が痛い」と訴える回数が増えてきたんですね。それが本当に増えたのは2020年の1月あたりからです。私と父で何回もお迎えに行き早退することがすごく増え、「一人で通勤させるのはちょっと大変なんじゃないかな」という話になり、3月くらいから父が一緒に付き添うようになりました。社会的な支援が利用できないだろうかと、私と父で探し回ったのですが見つからず、父が「じゃあ俺が行くわ」となったんです。
 
質問者:お父さまとお母さまが連れ立って写っておられる写真を、私も見せていただきました。お父さまは最初からずっとサポーティブなのですか?
 
Nさん:そうですね。診断から母を支えようとしてくれていて、病休で給料が減るからアルバイトも見つけました。ハローワークでCSW(コミュニティソーシャルワーカー)さんが「ここだったらありますよ」と教えてもらったのがコンビニのバイト。私とお父さんとで何とか家計をやりくりする感じになっていました。
 
質問者:お父さまはずっと主夫で、ご年齢のこともあるし外で働くのはなかなか大変だったしょう。その頃にはNさんの相談相手は誰でしたか?
 
Nさん:誰もいないです。「あれでもない」「これでもない」と、とにかく専門職と言われる人たちに電話を片っ端からかけまくっていました。
 
質問者:地域包括支援センターの人などもかかわりがなかったのですか?
 
Nさん:全くノータッチです。
 
質問者:相談はしたんですよね。
 
Nさん:相談はしたけど「若年性で、しかもお母さんは働いているんですよね。だったら何もできません」と言われ、障害福祉のほうに回されました。そこの方が鉄道会社に掛け合ってはくれたんですが、通勤エリアが市をまたぐとお手伝いできないと言われたんです。
 
質問者:それは、支援をする人が越境できないからということですか?
 
Nさん:そうです。
 
質問者:えー! そうなんですか。Gさん、職場自体はどうでしたか?
 
Gさん:……。
 
質問者:しんどかったですか?
 
Nさん:調子のよいときは自分で「これ、わからない」って言えるんですが、言葉にできず戸惑ってしまいその場を離れたりすることもあるんです。職場の人たちがそうした症状をなかなか理解できず「また◯◯さん、どこかへ行って……」みたいに言われたようです。それで母もかなりしんどくなり、トイレに閉じこもったりしていました。それを見て「何十分も閉じこもって……」と言う人もいれば、「少しくらい、いいじゃない」と言う人もいて、家族そしてどう受け止めていいか悩みました。コロナのこともあり話し合いができなかったので、職場でどんなことに困っているのか全然つかめなかったのです。
 
質問者:ジョブコーチの利用を考えたそうですね?
 
Nさん:移動支援のことを調べているときにその存在を知ったのですが、引き受けてくれるところがなかなか見つかりませんでした。地域包括支援センターの方の紹介で、自治体の障がい者就業生活支援センターも相談したんですが、いろいろな作業所などを見て本当に大変なんだろうなと思いました。ジョブコーチを求める人がものすごく多いんです。認知症以外に身体の問題を抱えた人や、精神障害、知的障害の方々がいかに必要としているか知りました。それでもうこれ以上お願いするのは難しいだろうと思い、仕方なく引き下がったんです。
 
質問者:お母さまが退職しようかなって思ったのは、それが決め手だったのですか? 周りの人に迷惑をかけているようなお気持ちがあったのでしょうか?
 
Gさん:(そういう気持ちは)ありました。
 
質問者:2年あまり懸命に働かれましたが、辞めようと決めたとき「自分は頑張った」と思えたのでしょうか。それとも「もう少し働きたかった」と感じておられたのか。つらい質問ばかりですみません……。
 
Nさん:お母さん、もうちょっと働きたかった?
 
Gさん:……。
 
質問者:Nさんは、お母さまがお辞めになることに対してどういうお気持ちでしたか?
 
Nさん:コロナ禍になって病棟で感染者が出たときは、もうお母さんが働くのは絶対無理だなと思いました。でもそのとき師長さんがすごく助けてくれたんです。あの頃は声を掛けられたらもう辞めてもいいんじゃないかなと私も思っていたんですが。でも一方で、母自身がだんだんしんどくなって、仕事を休むようになりました。それを見て私も「やっぱりもう限界かな」と思いました。
 
質問者:気にかけてくれた師長さんがいたから、100%は納得できないけれど「辞めてもいいかな」と思えたんでしょうか。
 
Nさん:家族としては「ここまで心を尽くしてもらったから、もういいかな」とは思ったけど、お母さん自身はどうだった?
 
Gさん:……。
 
Nさん:辞めてよかったのかな……。
 
質問者:複雑ですね。もっと働きたかったけど、辞めてホッとしたところもあるのかな。
 
Nさん:そうですね、きっと。
 
質問者:でも本当に頑張りましたよね、お母さま。
 
Gさん:……。
 
Nさん:2年以上も頑張ったから本当にすごいよね。
 
質問者:少しでも長く働きたいと思う方は多いのですが、早くに諦めざるを得ない方も少なくありません。お母さまは、Nさんとご主人のサポート、それに何よりご自身の努力が非常に大きかったんですね。
 
Nさん:私としては、職場と母がきちんと話し合い納得して退職するような形を思い描いてましたが、その前に休職したまま退職になったことが少し心残りです。どうすればよかったのかなと今でも思います。職場との話し合いをもう少し定期的に設けたほうがよかったのかなとか考えるんです。定期カンファレンスみたいなかたちで経過報告を共有するとか。
 
質問者:そういう機会があれば、退職するときにきっちり納得ができたかもしれないということですね。それで、実際に辞めるにあたってはNさんがお母さまにそれを勧められたのですか?
 
Nさん:いえ、直接「辞めようか」と促すようなことは言いませんでした。ただ、仕事を休むことが増えてきたとき「お母さんしんどい? 辞めたい?」と聞いたことは何回かありました。でも母はそのたびに必ず「辞めない」って言うんですよ。あんなにしんどそうだったのに……。納得したうえでの退職って、本当にどうしたらいいのだろうって思いました。心配だったのは、辞めることに対して母が本当に納得できるのだろうかということでした。しかし退職して数日経ったとき「辞めてよかった」って母が言ったんです。「今までこれだけ頑張れたんだし、精一杯働けてよかった。ありがとう」って。なんかもうびっくりしました。「そんなことを思っていたの?!」って。それを聞いて、いろいろあったけどよかったなって思えました。
 
質問者:何よりの言葉ですね。お母さまの本当の気持ちでしょう。お互いに優しさから相手を思い合っていることがとても伝わります。言葉にはしなかったけれど、お母さまもすごくしんどかった。だけど仕事を辞めた今では感謝の気持ちでいっぱいになったのでしょうね……。
 
仕事を辞めてからの生活:「若年性認知症の介護者は誰もが負い目を感じている」
 
質問者:その後はいかがですか? 今のお母さまの楽しみや嬉しいことって何でしょう?
 
Nさん:お母さん、楽しみは何?
 
Gさん:……。
 
Nさん:カラオケとかはどう?
 
Gさん:好き。
 
質問者:どこかに出かけたいな、って思いますか?
 
Gさん:……。
 
Nさん:母は私とお父さんがそばにいないと、すごく探し回っちゃって余計に不安が増すみたいです。だからどこに行くにも家族と一緒という感じですね。移動サービスなどはほぼ使っていません。
 
質問者:介護保険もまだ利用していないのですか?
 
Nさん:まだですね。いつ使うかはすごく考えているんですよ。どうしようかなってね。
 
質問者:Nさんも働いておられるし、しかもコロナですごく大変な状況だと思いますが、仕事と介護の両立についてはどのような状況なのですか?
 
Nさん:働いていた母もすごく好きでしたが、家にいれば職場からの呼び出しや道に迷ったりすることもなくて安心だ、という家族の気持ちがわかるようになりました。それに私たちの場合はお父さんが家にいるから、一緒に散歩や買い物に連れて行ってくれるので助かっています。
 
質問者:先ほど伺ったように、これまでさまざまなサポートを自力で探してこられましたが、本当ならそうしたことを誰にしてほしかったと思いますか?
 
Nさん:それはもちろん、若年性認知症を専門としている人ですよね。多くの場合に「高齢者だったらお世話できるけど、若い人はね……」などと言われ、どこにも相談する場所がありませんでしたから。介護経験者の方も高齢者ばかりだったので最初はすごく戸惑いました。「この人に私たちの悩みを話しても大丈夫なんだろうか。母はまだ診断されたばかりで歩くこともできれば喋ることもできるんだし……」って。しかも私たちは職場復帰を考えていたわけですから、家族会でそんな相談をするのは場違いなのではないかと思い、すごく言いづらかった。若年性認知症の介護者は家族会などに参加しても、このように誰もが「もっと大変な人がいるのに」という負い目のようなものを必ず感じていると思います。
 
質問者:一般的には若年性認知症者のサポートも少しずつ充実してきているのですが、公的なサポートセンターであっても、お母さまの生活に合わせた職場支援や医療支援のさまざまなリソースをうまく紹介してくれなかったのでしょうか。
 
Nさん:「医療支援を受けるなら仕事は辞めたほうがいい」と言われました。それどころか「介護は父に任せて世帯分離し、両親を生活保護世帯にすべきだ」とまで言われて……。
 
質問者:えっ?
 
Nさん:医療支援の話をしているのになぜそんなことを言われるのか、私には理解ができませんでした。
 
質問者:本来ならさまざまなケースに応じたサポートがあるはずですが、おそらくどこかでコミュニケーションが噛み合っていなかったのでしょうね。残念ながら個々の当事者が求めるニーズに合うような支援が機能しなかったと。
 
Nさん:そうですね。だから私自身の仕事も、手につかないとまではいきませんが、すごく毎日疲れていました。
 
質問者:今は少し落ち着かれていますか?
 
Nさん:そうですね。必死に勉強したからこの先について段取りができるようになり、当初に比べればすこし落ち着いていますね。
 
さいごに:「医療・介護の専門職に伝えたいこと」
 
質問者:これからの目標などはありますか?
 
Nさん:母は若年性認知症の当事者たちが集まれる場所のようなものを私につくってほしいようです。それで今、地元で話し合いを始めたばかりです。
 
質問者:サポーターの方は結構いるのですか?
 
Nさん:はい。たくさんいます。地域包括支援センターの方などに声をかけると、大勢の人が集まってくれます。
 
質問者:すごいですね!
 
Nさん:近隣の4つくらいの市からも「一緒にやらせてほしい」と声が上がっているので、これからどうなるのか私もよくわからないです。
 
質問者:若年性認知症の人は数が限られているため、高齢者の認知症に比べてより広域的に取り組んだほうがよいのかもしれませんね。
 
Nさん:そうかもしれませんね。
 
質問者:サポーターがたくさんおられるので、そうしたつながりを活かしてあちこちの機関とつながっておくのがよいでしょうね。全然役に立たないかもしれませんが、私も何かできそうであればぜひ使ってください。リソースの一つとして。
 
Nさん:ありがとうございます。自分たちの経験から、日常生活をどう送るかがやっぱりすごく大事だなって思います。普段いつでも気軽に話せる場所があったらすごくいいなって。
 
質問者:最後に、読者の看護師や介護職の方に向けて何かメッセージなどがあればお願いします。
 
Nさん:私が一番感じているのは、誰もが「若年性認知症」と聞くと、ネットで検索して出てくるような人が代表のように思えてしまいがちなことです。「自分は若年性認知症のことを勉強した」と言われる専門職でも、そうした人の症状にあてはめて自分たちに対応されることがすごく多いのです。母の場合は道に迷ったりわからないことがあっても、自分から声をかけて言うことができないことが多いので、そもそも何に困っているのかを他者から見過ごされてしまう。ネットや本で自身のことを上手に表現できる人よりも、そのような人のほうが本当は多いということを知ってほしい。
 
だから、専門職の人にはまず解剖生理も含めた疾患の知識をきちんと理解たうえで、目の前の人の症状がどういうものなのか、ちゃんと自分自身で見てほしいのです。何故なら、この病気を脳の症状ではなく、心の問題でとらえてしまう人がすごく多いと痛感したからです。
 
質問者:なるほど。精神論にされてしまうのですね。
 
Nさん:母が働いていた病院でも「◯◯さんはやる気がない」と受け止められられてしまったり、「あきらめちゃダメよ」と元気づけようとされたりしていました。看護師ならもうすこし勉強してほしいなと思うのです。
 
質問者:看護師の職場風土を考えると、もし知識がなければ余計にそうなりがちかもしれませんね。これは私たちがよくわかっていなければならないことだと思います。今日はいろいろ答えにくいことが多々あったと思いますが、貴重な機会をいただき本当にありがとうございました。
 
Gさん・Nさん:ありがとうございました。

『認知症plus若年性認知症〜多職種協働で取り組む生活支援』

 

山川みやえ・繁信和恵・長瀬亜岐・竹屋泰 編/B5/176ページ/定価2,860円(本体2,600円+税10%)/2022年03月発行/ISBN 978-4-8180-2398-7

 

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2022年03月24日