義父の認知症発症と手術を家族で支える

高齢化に伴い、家族に認知症の人がいるご家庭も増えてきている昨今ですが、介護者家族のなかに看護師がいた場合、どのような体験をしているのでしょうか。家族の終生期に臨み、介護を経験した花房由美子さん(老人看護専門看護師)に、その過程で抱いた苦悩や体験、看護・介護従事者への提言をつづっていただきました。

 

義父の認知症発症

ある日、夫から「なんか最近おやじがおかしいらしい」と相談を受けました。義父や夫が毎日通っている立ち飲み屋の仲間に「最近おっちゃん、ちょっとおかしいで」と言われたそうです。皆の話についていけず、ちぐはぐなことを言ったり、何度も同じことを話したりするというのです。私は「もしかして認知症かも」と不安がよぎりました。夫や義母に日ごろの様子を聞くと、受けた電話の要件をメモし忘れる、夜中に「おなかが空いた」と自分でパンを焼いて食べるなど、家族も心配するような行動がみられるとのことでしたので、認知症の検査をすすめました。

しかし、夫や義母が受診を持ちかけると、義父は「そんなんいらん。俺をボケ扱いするんか!」と怒り、手がつけられなくなってしまったため、受診をすすめる役割が私に回ってきました。病気や健康について、家族は私のことを信頼しているためです。私はどうしたものかと思案しつつ、義父に最近の体調などを聞きながら心配していることを伝え、「一度検査してもらう? ほかの病気で認知症のような症状が出ることもあるから」と説明しました。すると義父は「お前がそう言うなら調べてもらおか」と納得した様子でした。検査の結果、アルツハイマー型認知症の軽度~中等度と診断を受け、抗認知症薬の内服が始まりました。私は「とうとうわが家にも認知症という病気がやってきた。自分も親の介護をする年になったのだ」と覚悟を決めました。

さらなる病気の発覚とBPSD

画像診断からは、認知症に加えて、脳動静脈瘻も見つかりました。カテーテル治療か開頭手術が必要で、破裂すれば命にかかわります。義父は認知症の告知に加え、危険な病気が発覚し、二重のショックを受けました。「認知症って治るんか? もうあかん、この先どないなんねやろ」「この年になったらもう手術なんてせんでもええわ」など、今後の見通し・治療への不安や迷い、葛藤があるようでした。それは家族も同様でした。

脳動静脈瘻の治療について、義姉も交えて本人と家族で話し合いました。本人がどうしても嫌なら治療しなくてもよいのではないか、カテーテル治療なら侵襲も少ないのでどうか、治療の効果や合併症の危険性はどの程度か、などさまざまな意見がありました。医師とも相談し、義父は「先生の言うとおりに治療してもらう」と、カテーテル治療を選択しました。

しかし、さらなる問題が発覚。カテーテルの治療前検査で腎臓がんが見つかったのです。周囲の臓器にも浸潤している進行がんでした。医師には脳動静脈瘻より腎臓がんの治療のほうが優先だと言われました。やっと脳の治療を受ける決心をした矢先で、家族全員が動揺しました。医師には手術をすすめられましたが、義父は半ば自暴自棄の様子で「この年まで生きたんやから、もう死んでもええわ」と言いました。再度、話し合いです。本人にとって何がよいのか悩みながら、外来受診時に医師に疑問点を尋ねられるように意見を整理しました。受診時には、医師は家族による本人の気持ちの代弁や疑問点の質問に、丁寧に説明をしてくれたそうです。結果、義父は「先生を信頼し手術してもらう」と決心しました。一方で、帰宅後は「やっぱり怖いな……」と気持ちが揺れているようでした。

そのころから、義父にBPSDの症状が出始めました。「しんどい」と言っては日中も横になってウトウトし、夜中に起きて活動したりパンを焼いて食べたりする、「浩治(夫)や由美子(私)が俺を置いて行ってしもた。病院に行かなあかんのに!」と深夜に玄関のドアを叩きながら叫ぶ、排泄を失敗しては下着をトイレに流そうとするなど、さまざまな症状が表れました。

高齢者は加齢に伴う脳萎縮や神経変性疾患などの脳の器質的な変化が原因となり、不安や抑うつが起こりやすいとされます1)。義父は環境変化や体調への不安から心配が重なり、危機的状況に陥っていたのだと思います。抑うつ傾向もみられました。夫や義母が義父の心情を理解できるよう、また義父が安心できるかかわり方ができるように、パンフレットなどを用いて説明しました。さらに生活リズムを整えられるよう、日中に日光を浴び、少し散歩をすることなどをすすめました。かかりつけ医が処方してくれた睡眠導入薬の力も借りて、なんとかそれ以上悪化させず、入院日を迎えることができました。

家族で支えた手術と入院生活

義父も家族も、当初は4人部屋での入院を希望していました。しかし私は、術後せん妄やBPSDを発症する可能性が高いことから、予防ケアを行うため、場合によっては個室利用も必要だと考えていました。高齢者のせん妄では、予防ケアは発生した場合のケアより期間が断然短いため、予防からのかかわりが重要です2)。そこで家族に、個室の利用や家族の付き添いが必要になる可能性を説明し、心積もりをしておくように言いました。

また、入院病棟の師長に義父の認知機能や自宅での状況を伝え、必要時は個室への転室やせん妄ケアチームの介入を行うことなどをお願いしました。師長は「認知症の方も多いし、みんな慣れているから大丈夫よ。その都度相談していきましょう」と言ってくれました。師長の温かい言葉に私はどれほど救われたかわかりません。

入院当日、私は会議で東京に行かねばならず、付き添うことができませんでした。義父や家族に申し訳ない思いでいっぱいでしたが、夫が時折メールで様子を知らせてくれました。術前は特に問題は起きないだろうと予想していましたが、その期待は裏切られました。入院日の夜、義父は混乱して大声で叫び、同室者に迷惑がかかるような状況で、空いている個室に移動したそうです。師長にお願いして個室へ転室させてもらい、義父の安心のために、義母・義姉・夫・私で24時間2交代の付き添いのローテーションを組みました。孫である子どもたちも、車での送迎や夜間の付き添いなどに協力してくれました。病棟看護師のケアやせん妄ケアチームの少量の薬物療法の助けもあり、手術後は義父も落ち着きを取り戻した様子でした。家族は身のまわりの介護をしたり、廃用予防のために一緒に歩いたり、排泄の手伝いをしたり、できることを行いました。私は、毎日勤務終了後に病室を訪れ、義父の様子を確認し、付き添っている家族と情報交換をしたり、介護方法について家族に助言をしたりしました。週末の付き添いは私の当番でした。

家族の立場として病室にいたことで、看護師の視点とは異なる多くの学びもありました。ナースコールがしばらく鳴り続けると、義父は心配して「今日はようナースコールが鳴っとるな。忙しいんやな」と看護師を気遣っていました。普段、よく患者さんが「看護師さんが忙しそうだから……」とナースコールを押すのを遠慮する気持ちがよくわかりました。看護師である私でさえ、夜勤時間帯には看護師に声をかけるのをためらいました。同時に、入室する看護師の雰囲気からは「この方にならなんでも話せそう」という印象を受け、普段の自分を省みて襟を正す思いがしました。

義父にとっての“豊かな生”

義父の術後の回復は順調で、2週間ほどで自宅に退院できました。義父は77歳、畳店を息子である夫に引き継ぎ、隠居してのんびり暮らしていました。神戸生まれの神戸育ち、地元密着で生きてきた人です。きょうだいはおらず、寂しがりやで人懐っこいところがあります。夕食後には自転車で立ち飲み屋に行き、地元の仲間と語り合いながらお酒を飲むのが日課です。義父にとっては、お酒を飲みながら仲間とかかわり合うことがとても大切な時間です。しかし、認知症の診断を受けた日から、義父はノンアルコールの飲み物を注文するようになりました。それだけ、病気の進行を防ぎたいとの思いが強かったのだと思います。

また入院前は毎日、脳梗塞で倒れた後に介護老人保健施設で介護を受けている義祖母の所へ面会に行って洗濯物を持ち帰ることと、犬の散歩も日課でした。退院後は、杖を使って歩くことを受け入れ、家の周囲を散歩しています。今は、また義祖母の面会と、立ち飲み屋に行くことを目標に頑張っています。

同時に、家族としては、いずれやって来る別れのときへの覚悟もしておかなければなりません。義父にも少しずつ、今後をどう生きたいか聞いていきたいです。援助を提供する側が「この人にとっての豊かな生とはなんだろうか?」と問い、それを考えながら支援していくプロセスに意味があります3)。最期の瞬間まで、義父が安寧で人として尊厳を守られる医療・ケアが受けられることを望みます。義父が自分らしい生き方ができるよう家族で支えていきたいと思います。

<引用・参考文献>

1)岡本充子, ほか編:エンド・オブ・ライフを見据えた“高齢者看護のキホン”100, 日本看護協会出版会, p.58, 2015.

2)一瀬邦弘, 太田喜久子, 細川直史監:せん妄 すぐに見つけて! すぐに対応!, 照林社, 2002.

3)正木治恵, 真田弘美編:老年看護学概論 「老いを生きる」を支えることとは, 南江堂, p.182, 2011.

──月刊「コミュニティケア」第18巻 第09号 p.34-36より転載

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