画像診断からは、認知症に加えて、脳動静脈瘻も見つかりました。カテーテル治療か開頭手術が必要で、破裂すれば命にかかわります。義父は認知症の告知に加え、危険な病気が発覚し、二重のショックを受けました。「認知症って治るんか? もうあかん、この先どないなんねやろ」「この年になったらもう手術なんてせんでもええわ」など、今後の見通し・治療への不安や迷い、葛藤があるようでした。それは家族も同様でした。
脳動静脈瘻の治療について、義姉も交えて本人と家族で話し合いました。本人がどうしても嫌なら治療しなくてもよいのではないか、カテーテル治療なら侵襲も少ないのでどうか、治療の効果や合併症の危険性はどの程度か、などさまざまな意見がありました。医師とも相談し、義父は「先生の言うとおりに治療してもらう」と、カテーテル治療を選択しました。
しかし、さらなる問題が発覚。カテーテルの治療前検査で腎臓がんが見つかったのです。周囲の臓器にも浸潤している進行がんでした。医師には脳動静脈瘻より腎臓がんの治療のほうが優先だと言われました。やっと脳の治療を受ける決心をした矢先で、家族全員が動揺しました。医師には手術をすすめられましたが、義父は半ば自暴自棄の様子で「この年まで生きたんやから、もう死んでもええわ」と言いました。再度、話し合いです。本人にとって何がよいのか悩みながら、外来受診時に医師に疑問点を尋ねられるように意見を整理しました。受診時には、医師は家族による本人の気持ちの代弁や疑問点の質問に、丁寧に説明をしてくれたそうです。結果、義父は「先生を信頼し手術してもらう」と決心しました。一方で、帰宅後は「やっぱり怖いな……」と気持ちが揺れているようでした。
そのころから、義父にBPSDの症状が出始めました。「しんどい」と言っては日中も横になってウトウトし、夜中に起きて活動したりパンを焼いて食べたりする、「浩治(夫)や由美子(私)が俺を置いて行ってしもた。病院に行かなあかんのに!」と深夜に玄関のドアを叩きながら叫ぶ、排泄を失敗しては下着をトイレに流そうとするなど、さまざまな症状が表れました。
高齢者は加齢に伴う脳萎縮や神経変性疾患などの脳の器質的な変化が原因となり、不安や抑うつが起こりやすいとされます1)。義父は環境変化や体調への不安から心配が重なり、危機的状況に陥っていたのだと思います。抑うつ傾向もみられました。夫や義母が義父の心情を理解できるよう、また義父が安心できるかかわり方ができるように、パンフレットなどを用いて説明しました。さらに生活リズムを整えられるよう、日中に日光を浴び、少し散歩をすることなどをすすめました。かかりつけ医が処方してくれた睡眠導入薬の力も借りて、なんとかそれ以上悪化させず、入院日を迎えることができました。