Report
第20回日本認知症ケア学会大会リポート②
去る2019年5月25日(土)、26日(日)の2日間、「認知症という希望」をテーマに、国立京都国際会館(京都市)にて第20回日本認知症ケア学会大会(繁田雅弘 大会長)が開催されました。周囲を山に囲まれ、緑まぶしい絶好のロケーションの中、お天気にも恵まれ、2日間で6000人を超える参加者が集まって活発な情報交換や人材交流を展開しました。
ここでは当社の編集部員が任意に取材した演題についてリポートします。
特別企画1
認知症当事者からの希望のリレー
今、わたしたちが社会へ伝えたいこと・実現したいこと
登壇者:
・丹野智文(おれんじドア)
・藤田和子(日本認知症本人ワーキンググループ)
・山田真由美(日本認知症本人ワーキンググループ)
・春原治子
● 認知症とともに生きる希望宣言
ここ数年の間、自ら声をあげ、語る認知症当事者が次々と現れ、それをきっかけに認知症をめぐる社会の状況は大きく変化した。認知症の本人が主となり活動を行っている一般社団法人 日本認知症本人ワーキンググループは、2018年11月、「一度きりしかない自分の人生をあきらめないで、希望を持って暮らしていきたい」「次に続く人たちが、もっと楽にいい人生を送ってほしい」という願いを込めた『認知症とともに生きる希望宣言』を発表。そのために様々な立場の団体や人との協働を目指す“希望のリレープロジェクト”を全国で展開している。
司会を務めた丹野氏は「今、声を発している自分たちだけががんばるのではなく、この活動を次の人たちにつなげ、継いでいってもらうこと、バトンを渡していくことが大切」と、希望のリレーへの思いを語った。
● 今、社会へ伝えたいこと・実現したいこと
次に、「今、わたしたちが社会へ伝えたいこと・実現したいこと」をテーマに、4人の認知症当事者が語り合った。
「言葉がなかなか出てこない当事者がいると、支援者は待てなくて、つい手助けをしてしまうが、言葉が出てくるまで根気よく待つことが大切」「医療者は当事者に負担をかけまいと、YES/NOで答えられる簡単な質問をしがちだが、本人はバカにされているように感じる」「“その人のために何ができるか”ではなく、“いっしょに何ができるか”を考えてほしい」など、当事者の集まり(本人ミーティング)を開催している4人ならではのリアルなコメントがあった。
さらに、「初めて本人ミーティングに来た人は、緊張やら不安やらで表情が硬く、雰囲気も暗いが、ほかの参加者と話をしているうちにみるみるうちに元気になっていく。その姿を見て、自分も元気になる」と、当事者である自分が別の当事者を支援することは大変なことも多いけれども、やりがいや充実感はとても大きい、と語る姿が印象的だった。
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「認知症とともに生きる希望宣言
一足先に認知症になった私たちからすべての人たちへ」
- 自分自身がとらわれている常識の殻を破り、前を向いて生きていきます。
- 自分の力を活かして、大切にしたい暮らしを続け、社会の一員として、楽しみながらチャレンジしていきます。
- 私たち本人同士が、出会い、つながり、生きる力をわき立たせ、元気に暮らしていきます。
- 自分の思いや希望を伝えながら、味方になってくれる人たちを、身近なまちで見つけ、一緒に歩んでいきます。
- 認知症とともに生きている体験や工夫を活かし、暮らしやすいわがまちを、一緒につくっていきます。
2018年11月
一般社団法人 日本認知症本人ワーキンググループ
シンポジウム6
私たちは認知症ケアにどんな人生の意味を見いだせるのか
宗教都市京都で考える
座長:
・今井幸充(和光病院)
・宇良千秋(東京都健康長寿医療センター研究所)
シンポジスト:
・岡村 毅(東京都健康長寿医療センター研究所自立促進と精神保健研究チーム)「精神科医からみた認知症ケアにおける信仰・宗教の役割」
・小川有閑(大正大学地域構想研究所・BSR研究センター)「認知症ケアにおける仏教の役割と実践」
・加茂順成(浄土真宗本願寺派総合研究所)「寺院を活用した『おれんじテラス』の取り組み」
・涌波淳子(特定医療法人アガペ会)「認知症ケアにおけるチャプレンの働き」
● 医療と伝統仏教の融合
超高齢社会となった現在、高齢者が生きていく意味を感じられる社会を築くには、医療だけでは不十分である。医療が進歩しても「老病死」は避けることができない。そこで、「生老病死」に寄り添ってきた宗教と医療が協力し、医療者と僧侶などによる学際チームが研究をスタートさせた。
研究チームの行ったアンケート結果では、ケア従事者のバーンアウト保護因子として、信仰が精神的支えとなっている可能性が示唆された。宗教者は、信仰を持っていないケア従事者に対する精神的支援を行うことができる。また、介護や看取りの「意味や価値」に気づくきっかけを与える役割を担うこともできる。
寺院の施設を活用し、医療・介護専門職と連携して認知症研修会を開催したり、茶話会を行っている僧侶もいる。これらのイベントには、寺院関係者だけでなく、地域の一般の方も参加している。
また、僧侶が月1回檀信徒宅を訪問する機会(月参り)を利用して、高齢者の見守りや認知症の早期発見に生かしている地域もある。僧侶はその家の直近に亡くなった方の月命日に訪問するので、遺族に対するグリーフケアという側面ももっている。
以上のような取り組みは、認知症の疾病観を「認知症にかかわることは、豊かな人生につながる」というイメージに転換することが目標だという。
● 認知症ケアにおけるチャプレンのかかわり
チャプレン(教会・寺院に属さず、施設や組織で働く聖職者。布教が目的ではない)が1999年から継続して配属されている法人での取り組みも報告された。
チャプレンは、療養者の認知症の進行にあわせてかかわっていく。進行初期は、本人と安心できる関係性をつくり、悩み・不安・後悔などを傾聴して、問題の解決まで伴走する。中期は、BPSDの個別対応を行い、隠されている心の声を聴き、支える。後期は、言葉にならない魂の声に寄り添っていく。常に療養者の傍らにいて、その思いを傾聴し、時間を共有することで、医療職には打ち明けられなかった悩みを話す方もいる。加えて、家族や職員へ個別対応や、カウンセリングなどの精神的サポートも行っているという。
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いままで医療と宗教は、どこか切り離された印象を持っていた。今回のシンポジウムを聴き、医療と宗教が協働すれば、大きな力になると感じた。医療と宗教についての議論や研究は始まったばかりであり、解決しなければいけない課題も多い。しかし、課題をクリアしていけば、「宗教と認知症ケア」はひとつの希望になるように感じた。
(レポートの前半はこちらから)
2019年07月02日