ただ一撃
藤沢周平 著
文春文庫『新装版 暗殺の年輪』所収 / 2009年(初出1973年)
今回はこれまでと趣向を変えて、時代小説を紹介します。藤沢周平のごく初期の短編ですが、私の好きな作家の、なかでも好きな作品の1つです。でも、荒唐無稽なお話です。
ある藩に新規召し抱えを求めて、熊のように図体のでかい浪人がやってきます。御前試合が行われたのですが、この浪人はべらぼうに強い。たちまち腕自慢の4人の若者が叩き伏せられてしまいます。藩主は不機嫌になって「ふがいない! あいつを叩きのめす奴はおらんのか」と席を立ちます。藩主に礼もしない浪人の不遜な態度にいらだったのでしょう。
誰かいないか、腕が立ち、負けても藩の名誉が傷つくまでには至らない男が…。こうして、刈谷範兵衛が選び出されます。しかし、彼はすでに年老い、息子に家督を譲って隠居の身。危ぶむ者も多かったのですが、ほかに人がいない。もう老人だから、負けても大きな問題にはなるまい、というひどい理由で彼に立ち会うよう命(めい)が下されます。
息子が呼ばれ、その命が伝えられました。昔、父は剣が立ったということさえ知らない息子は「何かの間違いでは」と断ろうとするのですが、聞き入れられません。範兵衛は年を取っているというだけではなく、「ぼけ」ていて、いつも鼻水をたらしています。嫁の三緒は優しく鼻を拭ってくれているのですが、息子たちからは軽んじられている様子です。
範兵衛は「命を受ける」と言います。「負ければ父上のおとがめだけではすみませんぞ。藩主のご機嫌が悪ければお家断絶ということになります」と息子が断るように勧めるのですが、三緒は「負けても、お断りになってもおとがめを受けるのでしたら、お舅さまのなさりたいように遊ばしたら」と言うのです。三緒は、その命を聞いたとき、舅の表情に、嫁に来て以来一度も見たことのない輝きのようなものを見たと感じたのです。
試合までに範兵衛は十日間の猶予を願い出て許されたのですが、次の日からも何もせず、背中を丸め、膝を曲げて子どものような寝相で眠ってばかりいます。しかし、数日後、範兵衛は「握り飯を十ばかり作ってくれんか」と三緒に言い、その日から彼の姿が自宅から消えます。行方も解りません。その後、原野を疾駆する天狗に会ったという噂が立ちます。三緒はそれが舅に違いないと確信するのです。
そして、試合が迫ったある日、範兵衛がふらりと帰ってきます。頬は殺げ、顔は日に焼けて真っ黒、髪は物乞いのようにほつれて、異臭がするのですが、目は底光りして三緒を見ても微笑みもしません。舅が一人の兵法者になったことを三緒は理解するのです。
しばらく深い眠りに落ちた範兵衛は、目覚めて三緒をみつめて言うのです。「妻が亡くなってから女子の肌に触れたことがない。男のものも、もはや役に立たんようになったかも知れん」。三緒は血の色を失い、乾いた唇を開いて「では、お試しなさいませ」と言います。翌朝、三緒は懐剣で自害して果てます。女性からは厳しい批判を受けそうな展開です。
そして、試合。その結果は……。それを書くのは、推理小説の解説で犯人をばらすのと同じでタブーですが、著者自身が表題でそのタブーを破っていますね。
試合の後、範兵衛は急速に老います。何をするでもなく、終日、表情さえ変えずに濡縁でぼんやり庭を見ているだけです。「ぼけ」が進んだのです。
その範兵衛が一度だけあらわな感情の動きを見せたことがあります。息子が再婚することになり、そのことを彼に告げると、「名前は何という。三緒か」。息子が「三緒は死にましてござる。先日、一周忌をすましたばかりではござらんか」と言うのですが、「三緒か、それなら異存はない」と答えるのです。何度もそうではないことを伝えると「三緒が哀れじゃ」と涙と鼻水をおぼつかない手つきで拭くのです。
範兵衛はかろうじて思い出します。はじめは儀式のようにはじまった「そのこと」の最中に三緒は激しく取り乱し、喜悦の声をあげたのです。「それを恥じて自害したに違いない。そのことを知っているのは、自分だけじゃな」。それもすぐに記憶の彼方に押しやられます。
冒頭にも書きましたが、荒唐無稽なお話です。でも、「ぼけ」ゆく人たちの傍にいると、ちょっとしたきっかけで素晴らしい力を発揮されることがあり、まだまだ彼らには埋もれている力があったのだ、と感じ入ることがよくあります。また、彼らの心に残る人は、決してお忘れにはならないのだと、いつも感じるのです。