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『痴呆を生きるということ』『認知症とは何か』等の著書で有名な精神科医・小澤 勲 先生が選んだ“ぼけ”をテーマにした文学作品・詩歌・絵本を、毎月1冊ご紹介します。
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わが母の記
──花の下・月の光・雪の面
井上 靖 著
講談社文芸文庫 / 1997年 / 品切未定
これは、私小説作家ではない作者が書いた私小説です。随筆のように淡々と書かれていますが、作者の母に向ける優しいまなざし、哀切な気持ちは十分に伝わってきて、私の好きな小説の1つです。さらに、この小説は凡百の解説書より「ぼけ」の姿を見事に描き出しています。
本書は三部作になっています。
前回ご紹介した「花の下」につづく二作目をご紹介しましょう。
「月の光」は、85歳になった母を描いた作品です。
現在、介護にあたっているのは作者の妹の志賀子ですが、母はまだまだ元気で「年齢を重ねることを忘れてしまったよう」なのです。すばらしい介護を受けておられるからでしょう。
ところが、志賀子の夫が交通事故で松葉杖をついて家で静養しているのに、「結構なご身分ですね」などと嫌みを言ったりするようになり、志賀子は腹をたててしまい、怒ると、「ここは私の家です。出ていってもらいましょう」などと言うのです。
しばらく作者が母を預かることになって、夏なので軽井沢の別荘に連れて行くことになります。まず東京に連れてこられるのですが、その夜は眠ろうともせず、荷物をかかえて、故郷に帰ると言い募ります。
困り果てていると、軽井沢に先乗りしている作者の娘から、こちらに寄越すよう電話があります。「世話は大変だよ、よほどそのつもりにならないと」と言うのですが、娘は「おばあちゃんは私が世話します。だいたい周囲の人はみんなおばあちゃんの気持ちになってあげないから、おばあちゃんの気持ちをこじらせてしまうと思うの」と言うのです。
娘から父親が母親の取り扱いについて叱責されていると作者は感じます。
遅れて作者が軽井沢に行くと、母は草むしりなどしたりしていて、すっかり落ち着いていて「阿蘇の山里秋ふけて、ながめさびしき夕まぐれ」などと口ずさんでいます。今、母の言うことは、愛別離苦だけと言ってもいいものになっていて、作者は「母は80数年生きて、枯葉の軽さを持つ肉体と毀れた頭の中でまだ生き続けているものは夾雑物というものをすべて取り除いてしまった蒸留水のような、ある清明度を持ったごく素朴な感性のような気がする」と感じるのです。
ある日、訪問客と酒を飲み、送り出した後、作者はウイスキーを飲みながら「さあ、おばあちゃん、同じことを何度でも言っていいよ。こちらも酔っているから今夜はいっこうに堪えない」と言います。実際、そういう気持ちになっていて、「もう何年も普通の人間と人間とが向かい合っているように、虚心に母と対座したことはなかった。私は母が何回でも繰り返す同じ言葉を耳に入れまいと努力しているのが常だった。しかし、その夜は酔いも手伝って今なら母と虚心に対座できるという気持ちになり、その気持ちを口に出した」のです。
ところが、次の日、母は言うのです。
「この人は変な人だよ、同じことばかり言ってる」
何度読んでも、ここのところに来ると、私は何となく楽しくなります。作者も「私は思わず笑い出した」と書いています。何かとても温かい、ほのぼのとした気分になれますね。
一方で、母は作者を「この人」と呼び、もはや息子であることもわからなくなりかけています。「やすしをここに寝かしておいたのに、いなくなった」と、探しに外に飛び出すのです。「やすし」は赤ちゃんになっているのでしょう。
「ぼけ」の深まりは時間、場所、人の順でわからなくなるのが普通です。
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はじめに
①明日の記憶◎荻原 浩 著
②われもこう◎瀬戸内寂聴 著
③寂蓼郊野◎吉目木晴彦 著
④ただ一撃◎藤沢周平 著
⑤都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト◎澁澤龍彦 著
⑥わが母の記―その1「花の下」◎井上 靖 著
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2020年03月27日