◆ 雪の面
「雪の面」は89歳で亡くなった母の葬儀に集まった子ども、孫たちの回想です。
作者はこんなことを思い出します。ある日、母が作者の部屋に来て、「この間までそこで毎日書きものをしていた人は亡くなりましたね」と言います。3日前のことだと言うので、どうしてそう思うのかと訊ねると、「大勢の人が来ているでしょう」と答えます。作者は「母はいま、状況感覚の中に生きているのではないか」と感じます。
そう考えると、そういう「感覚データ」は確かにあります。
「私の仕事机は、そこに坐る人が坐らなくなって3日経ったくらいの整頓を見せていたし、主人が亡くなって丁度3日目ぐらいはかくあろうかと思われるくらいの人の出入りがあった。まだその他に、私には気付かれないが、母は同じようなデータをいくつか拾っているかもしれなかった。そして、そうしたデータによって、母は自分だけの世界を造り上げ、そのドラマを生き始めているのではないか。このように考えると母の老耄の世界は、急に私にはこれまでとは少し異なったものに見えてきた」と書いています。
そうですね。「ぼけ」の人は、1つひとつの言葉や刺激というより、自分が置かれた状況に反応されるのではないでしょうか。言葉というより、言葉の背景にある「何か」が伝わるとも言えます。
母の骨壺を持って車に乗り、「母は長く烈しい闘いをひとりで闘い、闘い終って、いま何個かの骨片になってしまったと、その時私は思った」という文章で、この小説は終わっています。