わが家は入院を含めて妻が利用できる制度がない4年間と、介護保険制度導入後の16年間を過ごしてきました。利用できる制度のない時代は制度化を強く望みました。しかし、制度ができてからは、その範囲でしかサービスが利用できない不自由さも数多く経験してきました。なぜデイサービスの送迎の際、5~10分が待てないのか? なぜ送迎車は2、3分の遠回りをしてくれないのか? など、“融通が利かない”のです。
規則を厳守する職員は、施設側からみれば“真面目な職員”でしょう。しかし、介護家族の評価は別です。介護保険制度導入前の“人の力”は「富田さん、千代野さんの力に」と、無数の思いが集まったものでした。専門家から見ると介護のレベルは低かったでしょう。私も「何かあったら責任は私がとります」と言い続けてきました。率直に言えば、今の真面目な職員は、責任を重視するあまり萎縮していないでしょうか?
制度というものは、完全ではありません。未整備、不十分さを日常の中から見つけて改善していくものでしょう。それには介護・看護の専門家と、介護家族の間での対等で自由な意見交換が必要です。
さらに、“男性介護”という言葉も、この20年で少しは広まってきました。しかし、制度が生きてくるにはまだ時間がかかります。昭和30年代、女性の社会進出にはその保障として「ポストの数ほど保育所を」といわれました。そして今、男性が子育てや介護から逃げられる時代ではありません。この負担は職場・地域で問題共有していくしか解決策はないと思います。
これから、男性が職場で自らの家族介護を語れるかどうかにかかっています。勇気を持って語ると職場環境が変わり始めるのは、私の経験でわかっています。介護をしながら働き続けるために、男性が自らの介護問題をまわりに語り始めれば、社会は劇的に変わるでしょう。