Column
前半では、妻を51歳で若年性認知症と診断された、はかせ次郎さんの診断を受けたときの妻と自身の思い・状況について語っていただきました。つらい日々を過ごしてきたはかせ次郎さんと妻はどのようにして認知症と向き合ったのでしょうか。その後の展開を語っていただくとともに、看護職への要望や期待についてメッセージをいただきました。
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<はじめに・・・前回記事より>
以下の表はかせ次郎さんの妻が若年性認知症と診断される前後の仕事、生活、通院などの状況です。
2014年5月、インターネット検索で公益社団法人認知症の人と家族の会(以下:家族の会)を見つけ、その富山支部が主催する介護の相談・情報交換・勉強会などを行う「つどい」に初めて参加しました。参加者の前できちんとあいさつができた妻の横で、私は泣きべそをかきながらやっとのことで自己紹介をしました。世話人に「(診断後の)一番つらいときによく来たね」と言ってもらったのを鮮明に覚えています。
●現在(※2016年本誌掲載当時)の状態
D病院の精神科はプライバシーの管理が甘く、認知症の専門医もいないことから、家族の会で出会った方が通っているE病院に通院先を変えました。E病院は、主治医が認知症の専門医で、初診時に自立支援医療制度(精神通院医療)の申請をすすめてくれたり、3種類の薬(アリセプト、メマリー、サインバルタ)を一包化してくれたり、対応に大変満足しています。E病院に移ってから、改訂長谷川式簡易知能評価スケールを2014年7月と2015年7月の2回受けましたが、日にちの項目以外はほぼ全問正解でした。
点数はさておき(D病院で同スケールを受けたときに「教員をやっていたのでよい点数が出やすい」と言われたことがあります)、2014年から2015年にかけて病状はあまり進行していないという状況証拠の1つになると思います。とはいっても、言われたことはすぐに忘れてしまい、何度も同じことを尋ねてくるので、大事なことはその都度ホワイトボードに大きな字で書くことにしています。また、これまで家事はすべて妻が担っていましたが、現在は朝食と夕食の準備を私が、三男の弁当づくりと洗濯、食器洗いは妻が行い、週1回の掃除は私と妻で場所を分担してやっています。なお、要介護認定は受けていません。
●妻はボランティア活動で元気に
2014年10月にC高校から、①翌年度から通常どおり1人で授業をやるか、②復帰のための研修を1年間受けるか、③病気休暇に入るか、選択を迫られました。家族の会の世話人と一緒に高等学校教職員組合を訪れて相談もしたのですが、③以外の選択枝はもとよりあり得ず、妻は2015年3月から病気休暇に入りました。
病気休暇に入ることになって一番心配だったのは、日中の妻の居場所でした。「1人で家の留守番をさせておくと急激に病状が悪化するから、絶対に避けるように」と、家族の会で言われていたのです。そこで、近所の学童保育施設で小学生の宿題の面倒をみるとか、デイサービスでボランティアをするとか、妻の居場所を探しました。そして、私の通勤途中(隣の中学校区)にある富山型デイサービス(年齢や障害の有無にかかわらず、誰でも利用可能なデイサービス)で、昼食つきの無償ボランティアとして受け入れてもらえることになりました。近所の学童保育施設には知り合いがいるかもしれませんが、そのデイサービスでは知り合いに会う可能性は低く、自宅からもちょうどよい距離です。女性の理事長やスタッフの皆さんが支えてくれて、妻は毎日楽しく過ごさせてもらっています。大変感謝しています。
今、悩んでいることはカミングアウトのことです。妻は自分が若年性認知症であることを公にしたくない気持ちがまだ強く、いつ、どこで、どのような形でまわりの人に告白するかが今後の課題です。
若年性認知症の本人・家族にとって一番重要なのは、診断以降、介護以前の過ごし方だと思います。この期間は看護職の守備範囲から外れるかもしれません。しかし、本人・家族の希望で病院から地域包括支援センターや訪問看護ステーションに連絡がきたときは、死刑宣告にも等しい診断を受けて絶望している私たちの精神面をまず支えてほしいと思います。
そして少し落ち着いたら、自立支援医療制度(精神通院医療)や、障害年金(精神障害)、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(精神障害者保健福祉手帳)などの利用できる制度について、家族にわかりやすく説明してほしいです。さらに、仕事を辞めたり休んだりしている若年性認知症者の日中の居場所も斡旋してほしいです。
イギリスのスコットランドでは、リンクワーカーという職種の人が当事者同士の交流会や勉強会、支援制度などを紹介してくれる仕組みがあるそうです。日本でも2016年度から各都道府県に若年性認知症支援コーディネーターが配置されるようですが、1県1人程度では全然足りないと私は思います。
幸いにして私たちは診断直後から家族の会につながることができ、休職中の妻の日中の居場所も確保できました。しかし、世の中には孤立している若年性認知症者と家族が多くいると思います。看護職にはぜひ一度、家族の会のつどいに参加していただき、若年性認知症者や家族の生の声を聞く機会を持ってほしいのです。そしてできれば、業務として定期的に参加して、プロの立場から助言をする仕組みをつくってほしいと思います。
<おわり>
──月刊「コミュニティケア」第18巻 第03号 p.51-53(2016)より転載
2019年05月28日