●現在(※2016年本誌掲載当時)の状態
D病院の精神科はプライバシーの管理が甘く、認知症の専門医もいないことから、家族の会で出会った方が通っているE病院に通院先を変えました。E病院は、主治医が認知症の専門医で、初診時に自立支援医療制度(精神通院医療)の申請をすすめてくれたり、3種類の薬(アリセプト、メマリー、サインバルタ)を一包化してくれたり、対応に大変満足しています。E病院に移ってから、改訂長谷川式簡易知能評価スケールを2014年7月と2015年7月の2回受けましたが、日にちの項目以外はほぼ全問正解でした。
点数はさておき(D病院で同スケールを受けたときに「教員をやっていたのでよい点数が出やすい」と言われたことがあります)、2014年から2015年にかけて病状はあまり進行していないという状況証拠の1つになると思います。とはいっても、言われたことはすぐに忘れてしまい、何度も同じことを尋ねてくるので、大事なことはその都度ホワイトボードに大きな字で書くことにしています。また、これまで家事はすべて妻が担っていましたが、現在は朝食と夕食の準備を私が、三男の弁当づくりと洗濯、食器洗いは妻が行い、週1回の掃除は私と妻で場所を分担してやっています。なお、要介護認定は受けていません。
●妻はボランティア活動で元気に
2014年10月にC高校から、①翌年度から通常どおり1人で授業をやるか、②復帰のための研修を1年間受けるか、③病気休暇に入るか、選択を迫られました。家族の会の世話人と一緒に高等学校教職員組合を訪れて相談もしたのですが、③以外の選択枝はもとよりあり得ず、妻は2015年3月から病気休暇に入りました。
病気休暇に入ることになって一番心配だったのは、日中の妻の居場所でした。「1人で家の留守番をさせておくと急激に病状が悪化するから、絶対に避けるように」と、家族の会で言われていたのです。そこで、近所の学童保育施設で小学生の宿題の面倒をみるとか、デイサービスでボランティアをするとか、妻の居場所を探しました。そして、私の通勤途中(隣の中学校区)にある富山型デイサービス(年齢や障害の有無にかかわらず、誰でも利用可能なデイサービス)で、昼食つきの無償ボランティアとして受け入れてもらえることになりました。近所の学童保育施設には知り合いがいるかもしれませんが、そのデイサービスでは知り合いに会う可能性は低く、自宅からもちょうどよい距離です。女性の理事長やスタッフの皆さんが支えてくれて、妻は毎日楽しく過ごさせてもらっています。大変感謝しています。
今、悩んでいることはカミングアウトのことです。妻は自分が若年性認知症であることを公にしたくない気持ちがまだ強く、いつ、どこで、どのような形でまわりの人に告白するかが今後の課題です。