⇒ 専門家として認知症に関する学習をする
前述のとおり、一口に性的逸脱行為といっても、さまざまな原因・要因によって引き起こされている。
千差万別な認知症高齢者のこれまでの人生のあゆみや脳の障害の程度、周囲の環境も踏まえてアセスメントし、原因・要因についての仮説をたて、ケアプランを立案していく。
⇒ 専門機関にコンサルテーションする
認知症は、現在は治癒することのない疾患ではあるが、進行を緩やかにしたり、穏やかに生活するための手段は検討されている。認知症疾患医療センターや物忘れ外来など認知症に関する専門外来も各地域にあるため、相談先として活用していく。
その際には、詳細なアセスメントを認知症専門医に伝えることでより効果的な診療につながる。
⇒ 一人で背負わない、背負わせない
認知症の人はいわれたことを記憶に留めておくことは難しいが、相手に抱いた感情は残るとされている。うれしいことがあれば出来事自体を忘れてしまっても、うれしい気持ちは続くし、嫌なことをされると不快な感情が続いてしまう。
認知症の人に性的逸脱行為が見られたとしても、その行動を咎めたり、叱責しても「怒られた」というネガティブな感情だけが残り、いわれた内容は忘れてしまうため意味がない。また、介護をする人の気持ちにもとても敏感であり、介護する側の気持ちに余裕がないと、普段と同じことをしても認知症の人を怒らせてしまうこともある。
性的逸脱行為の対象が限定されている場合や異性に向かう時は介護する人を変えたり、できるだけ同性が介助するようにすると、負担感が減少し、認知症の人も気分が変わって落ち着くことがある。家族介護者の場合は、介護サービスの利用等により第3者の介入や外出機会によって離れる時間を持つことも1つの方法である。もちろん、程度によっては施設の入所などの措置も検討が必要である。
⇒ 隠れたニーズを探る
水戸らは、高齢者にとっての性は必ずしも性行為そのものではなく、コミュニケーションやスキンシップなど広範囲な身体的・心理的活動であると述べており4)、性言動が性的欲求そのものを表しているとは限らない。子育ての終了や配偶者・知人との死別、退職、心身機能の衰えによる他者との交流の減少など、高齢者は心身ともに愛する人や親しい人とふれあう機会が減少しやすい。誰もそばにいない寂しさや人恋しさ、他者から必要とされたいという感情が性言動として表出されている可能性もある。
筆者が勤める法人では、動物や小さい子どもたちと認知症高齢者のふれあいの機会を設け、たくさんの笑顔が見られている。また身体機能が自立している認知症高齢者はまだまだできることがたくさんあるので、何か役割を持ってもらったり、興味が持てる趣味活動を探索してもらったりと、エネルギーを性言動とは違う方向に発揮してもらうようかかわっている。
⇒ うまく付き合う
年齢を重ねても、認知症になっても、人とのつながりやふれあい、また異性への関心は、個人差はあるがなくなるものではない。
認知症ケアの原則として、BPSDや相手の言動を責めることは効果がないというのが一般的であるが、性的逸脱行為に関しても同様である。
現在、多くの高齢者向け施設でさまざまな取り組みがされているが、施設内で「紳士の夕べ」などの名称で往年のロマンポルノなどを上映する施設もみられる。隠す、ないものにするというのではなく、あるものとしてどう付き合うかは、専門職ではなく市民レベルでも考えていくべき課題といえる。