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小澤勲先生が選ぶ”認知症を知るための本”─⑫黄昏記

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小澤勲先生が選ぶ”認知症を知るための本”─⑫黄昏記

痴呆を生きるということ』『認知症とは何か』等の著書で有名な精神科医・小澤 勲 先生が選んだ“ぼけ”をテーマにした文学作品・詩歌・絵本を、毎月1冊ご紹介します。

 

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黄昏記

 

真野さよ
同時代ライブラリー 岩波書店 / 1990年 / 品切重版未定

 

これは、母を看取った真野さん(小説では「三和」)の長編記録小説です。1967(昭和42)年、13年来、介護にあたってきた母(やえ)を亡くし、翌年、この小説を書き、1981(昭和56)年にミネルヴァ書房から上梓、1990(平成2)年には岩波から出版されました。

介護保険はむろん、社会資源さえまったくと言ってよいほどなかった時代の介護記録です。

 

この小説の冒頭の文章が素晴らしいのです。

駅から自宅までの坂を、2人は登っていきます。「夕暮れは裾の方から深めていくものか、街路や生け垣のあたりはすでに灰色の影にひたされているのに、木立の上の空は明るく、薔薇色にかがやく雲が群羊のように、柔らかい背をつらねてゆっくり移ってゆく。……蹟きがちな母親をささえながら、三和はこの日はじめて、夕暮れが夜にかわる容易ならぬ順序というものを知った」のです。

染織作家らしい風景描写ですが、2人が辿るこれからの運命を予告しているようでもあります。

 

亡夫の13回忌をすませた頃から、やえは「ぼけ」はじめます。52歳になった娘の三和と二人暮らしです。

何度も時刻を訊ねに三和の仕事部屋にやってきます。「自分で(時計を)見なさいよ」と三和が言うと「あんたは冷たい。あんたも今にこうなる。その時わかるわ」と「先覚者の威をもって宣告をくだす」のです。

置いたところを忘れ、「なくなった」と言うのは日常茶飯事。そのうち、三和が盗ったのでは、と疑わしい目で見るようになります。

電話のベルと門の呼び鈴を間違え、門のほうへ何度も出て行きます。そこで、ほとんど三和にしかかかってこない電話を三和の部屋に移すと、「電話を取り上げた」と激しく怒ります。

 

やえは、長年やってきた裁縫ができなくなって退屈したのか、いつも三和の後を追い回すようになります。

三和の言葉が荒くなると、親戚への電話で「毎日、三和にいじめられとるんよ。あのひと、ほんまに鬼みたいなんよ。あたしゃもう死んだがましじゃ」と言うのです。「退屈で相手を求める不満が家中のありとあらゆる物の中にかくれていて、三和めがけてとびかかろうとしている」と感じます。

それは、やえにもわかっているらしく「あたしゃ、淋しゅうて淋しゅうて、あんたの邪魔をしてはいけんと思うても、我慢できんのよ」と、涙をぼろぼろこぼします。「ごめんなさい。わたしも仕事が運ばんので」と三和も泣くのです。

 

そのうち隣家から大男がのぞいているという幻視が現れ、三和の部屋に男が忍んできて話しているという幻聴も始まります。「誰にも言わんから自分にだけはうち明けて」とやえは言うのですが、身に覚えがない三和は困り果てます。

夜の徘徊も始まります。さらに、深夜、寂しさのあまりでしょうか、泣き声が聞こえるようになります。三和は、それを聞いて「肉親というよりも一個の人間の底知れぬ生を」思うのです。そのうち、やえの「ぼけ」が進み、子どもたちの顔さえおぼろになっていきます。

 

失禁がはじまり、三和は生まれて初めて、母の下着を洗います。「そのことは少しも厭わしくはなく、むしろ今こそ限りなく、やえをいとおしく思う気持ちに、涙ぐんでいた。……三和は自分が試されるのだと思っていた。それは三和自身というよりも“老い”にたいする“まだ老いざる者”の思いの試し」です。

 

後半は、骨折し、在宅介護の限界がきて、精神病院の、緑色の鉄の重い扉の向こう、それも鍵がかかり、内側からは開かない保護室と呼ばれる部屋に監禁されたやえを見舞い、洗濯物を届ける三和たちのやるせない想いが描かれています。

徐々に弱っていく母。食べなくなったやえの口に食餌(という字を当てたほうがいいですね)を放り込み、鼻をつまんで、苦しさのあまり飲み込ませ「自分の親ならこんなことはようしません」という看護婦の行為に不満を抱きながら、「では、連れ帰ってください」と言われそうで、何も言えない三和。

激しく逆らうやえに、「自分の親にできないことを敢えてする他人に対して、やえもまた、命の限り闘えばいい」と思うのです。

 

亡くなったやえを前に、子どもたちは「これでお母ちゃんは楽にならはったんや」とつぶやくのです。

長年、「ぼけ」ゆく人たちのケアにあたってきた私は、読み進めるのさえ辛く、このような扱いを受けた人たちには、ひたすら頭をさげるしかありません。

 

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はじめに

①明日の記憶 ● 荻原 浩  著

②われもこう ● 瀬戸内寂聴 著

寂蓼郊野 ● 吉目木晴彦 著

④ただ一撃 ● 藤沢周平 著

⑤都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト ● 澁澤龍彦 著

⑥わが母の記―その1「花の下」● 井上 靖 著

⑦わが母の記―その2「月の光● 井上 靖 著

⑧わが母の記―その3「雪の面● 井上 靖 著

おばあちゃん ひとり せんそうごっこ ● 谷川俊太郎 文、三輪滋 絵

わたし 大好き ● リディア・バーディック 作、みらいなな 訳

介護をこえて―高齢者の暮らしを支えるために ● 浜田きよ子 著

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2020年08月25日