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『痴呆を生きるということ』『認知症とは何か』等の著書で知られる精神科医・小澤 勲 先生が選んだ“ぼけ”をテーマにした文学作品・詩歌・絵本を、毎月1冊ご紹介します。
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ライスカレーと母と海
藤川幸之助 著、永田理恵 写真ポプラ社 / 2004年 / 品切れ・重版未定
藤川幸之助さんの詩は拙著『痴呆を生きるということ』(岩波新書)のなかでも、最初の詩集『マザー』から引用させていただきましたが、ここでは詩ではなく、あとがきのなかの言葉を紹介しましょう。
お母様はすでに重度で、まったく言葉を失い、胃ろうをつくっておられるようです。
でも、「7年前、母の介護に疲れ、亡くなった父が、生前母に歌っていた『旅愁』という歌を、私が歌う時だけはきまって母は大きな声を出」されるようです。
そうですね。どんなに「ぼけ」が重度になっても心が通じたと思える瞬間はありますよね。ただ、そう感じられるのは長年連れ添った人だけに許される特権でしょう。
そして、藤川さんはこう書いておられます。
時に静かにベッドに横たわる母を見ると、母を海のようだと思う時があります。海は言葉をもっていません。しかし、その広さとその輝きと青さで、私に多くのことを語ってくれます。母は言葉を失いましたが、凪いだ海のようなヒトミで静かに私を見つめ、言葉では伝わらないことをこの私に教えます。
母とその母の痴呆という病気がなかったら、ここまで深く親のことを考えたでしょうか。人を支えるということを考えたでしょうか。……母のために自分の時間を使い、自分自身を惜しみなく差し出すことで、自分自身が自由になっていくのも感じます。母が病気になったから、こんなにも深く『生きる』ということの意味を考えることができるようになったのだと思うのです。母が自分の身を挺して私を育てようとしているとさえ感じています。
痴呆の母を思う時、子どもの頃、家の近くにあったバス停のイスを思い出します。ほったらかしの雨ざらしの木のイスです。今にもバラバラにほどけてしまいそうなおんぼろのイスでした。バスを待つ人を座らせ、歩き疲れた老人を憩わせ、時にはじゃま者扱いされ、けっとばされ、毎日のように学校帰りの子どもを楽しませるバス停のイスでした。崩れていく自分を必死に支えながらも、人を支え続けるイスでした。私の中では、そのイスが痴呆の母の存在とぴったりと重なるのです。
私も大変な毎日を送っておられるに違いない皆さんに、ほんのいっときでも憩っていただけるイスを差し出せれば、と願っております。
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はじめに
1 明日の記憶●荻原 浩 著
2 われもこう●瀬戸内寂聴 著
3 寂蓼郊野●吉目木晴彦 著
4 ただ一撃●藤沢周平 著
5 都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト●澁澤龍彦 著
6 わが母の記―その1「花の下」●井上 靖 著
7 わが母の記―その2「月の光」●井上 靖 著
8 わが母の記―その3「雪の面」●井上 靖 著
9 おばあちゃん ひとり せんそうごっこ●谷川俊太郎 文、三輪滋 絵
10 わたし 大好き●リディア・バーディック 作、みらいなな 訳
11 介護をこえて―高齢者の暮らしを支えるために●浜田きよ子 著
12 黄昏記●真野さよ 著
13 マザー●藤川幸之助 著
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2020年10月12日