良寛
吉野秀雄 著
アートデイズ / 2001年
手毬
瀬戸内寂聴 著
新潮文庫 / 1994年
はじめにお断りしておきますが、「良寛さん」は「ぼけ」と直接は関係ありません。「老いを読む」とお考えください。
私の大好きな良寛さんの話をさせていただきます。
良寛さんといえば、やはり子どもらと日がな1日、毬つく姿を思い浮かべられるでしょうか。
「つきてみよ 一二三四五六七八九十 十と納めてまた始まるを」という歌がありますね。私の大好きな「天上大風」という書も、親が子どもに「凧揚げするからと言って良寛さんに何か書いてもらってこい」と命じ、書いてもらったものを親が取り上げたものだと言い伝えられています。
でも、良寛さんが若い頃に修行中に詠った、宗教界の堕落を激しく糾弾した漢詩もあります。
良寛さんは老いて、故郷に近い庵に一人住まいされ、
「老いらくを だれがはじめけん 教へてよ いざなひ 行きて うらみましものを」
と詠います。
老いへの恨みを詠ったもので、あの良寛さんにしてと思いますが、どこか飄逸で、さすが良寛さんだとも感じます。
年老いた良寛さんのもとに若い貞心尼が訪ねてきます。二人のあいだに生まれた淡い情愛は、寂聴師の『手毬』に詳しく書かれています。
良寛さんは今で言う腸がんで亡くなるのですが、寝たきりになり、垂れ流しのような状態になって
「この夜らの いつか明けなむ この夜らの 明けはなれなば おみな来て尿を洗らはむ こひまろび 明かしかねけり ながきこの夜を」
と詠います。
訪ねて来た貞心尼がお湯で良寛さんのからだをていねいに拭き清めます。良寛さんははじめちょっと恥じらって抵抗されるのですが、すぐに身を任せるのです。
「信とは任すなり」と良寛さんは教えておられたようです。貞心尼は、陰嚢の皺の汚れまでしっかり拭いて、「さあ、きれいになった」と言い、指でぽんとはじいたのです。
「良寛さまがくすっと笑われ、お腹をひくひくうごめかされた。小さな獣のように、それらもひくひくとゆれた」のです。
むろん、これは寂聴師のイメージの世界ですが、お二人の何とも愛いらしい姿が目に浮かびますね。
良寛 天保元年、逝去。享年74歳。